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次の文章を読み,あとの各問に答えよ。
私たちは,身の回りの土地やものについて面積や重量などを道具を用いて計測し,その結果を暮らしに役立ててきた。
古代から,各時代の権力者は,(1)財政基盤を固めるため,土地の面積を基に税を徴収するなどの政策を行ってきた。時代が進み,(2)地域により異なっていた長さや面積などの基準が統一された。
(3)江戸時代に入ると,天文学や数学なども発展を遂げ,明治時代以降,我が国の科学技術の研究水準も向上し,独自の計測技術も開発されるようになった。
第二次世界大戦後になると,従来は計測することができなかった距離や大きさなどが,新たに開発された機器を通して計測することができるようになり,(4)環境問題などの解決のために生かされてきた。
〔問1〕 (1)財政基盤を固めるため,土地の面積を基に税を徴収するなどの政策を行ってきた。とあるが,次のア〜エは,権力者が財政基盤を固めるために行った政策の様子について述べたものである。時期の古いものから順に記号を並べよ。
ア |
朝廷は,人口増加に伴う土地不足に対応するため,墾田永年私財法を制定し,新しく開墾した土地であれば,永久に私有地とすることを認めた。 |
イ |
朝廷は,財政基盤を強化するため,摂関政治を主導した有力貴族や寺社に集中していた荘園を整理するとともに,大きさの異なる枡の統一を図った。 |
ウ |
朝廷は,元号を建武に改め,天皇中心の政治を推進するため,全国の田畑について調査させ,年貢などの一部を徴収し貢納させた。 |
エ |
二度にわたる元軍の襲来を退けた幕府は,租税を全国に課すため,諸国の守護に対して,田地面積や領有関係などを記した文書の提出を命じた。 |
〔問2〕 (2)地域により異なっていた長さや面積などの基準が統一された。とあるが,次のⅠの略年表は,室町時代から江戸時代にかけての,政治に関する主な出来事についてまとめたものである。Ⅱの文章は,ある人物が示した検地における実施命令書の一部と計測基準の一部を分かりやすく書き改めたものである。Ⅱの文章が出された時期に当てはまるのは,Ⅰの略年表中のア〜エの時期のうちではどれか。
Ⅰ
Ⅱ
【実施命令書の一部】
○ |
日本全国に厳しく申し付けられている上は,おろそかに実施してはならない。 |
【計測基準の一部】
○ |
田畑・屋敷地は長さ6尺3寸を1間とする竿を用い,5間かける60間の300歩を,1反として面積を調査すること。 |
○ |
上田の石盛は1石5斗,中田は1石3斗,下田は1石1斗,下々田は状況で決定すること。 |
○ |
升は京升に定める。必要な京升を準備し渡すようにすること。 |
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〔問3〕 (3)江戸時代に入ると,天文学や数学なども発展を遂げ,明治時代以降,我が国の科学技術の研究水準も向上し,独自の計測技術も開発されるようになった。とあるが,次のア〜エは,江戸時代から昭和時代にかけての我が国独自の計測技術について述べたものである。時期の古いものから順に記号を並べよ。
ア |
後にレーダー技術に応用される超短波式アンテナが開発された頃,我が国最初の常設映画館が開館した浅草と,上野との間で地下鉄の運行が開始された。 |
イ |
正確な暦を作るために浅草に天文台が設置された後,寛政の改革の一環として,幕府直轄の昌平坂学問所や薬の調合などを行う医官養成機関の医学館が設立された。 |
ウ |
西洋時計と和時計の技術を生かして,時刻や曜日などを指し示す機能を有する万年自鳴鐘が開発された頃,黒船来航に備えて台場に砲台を築造するため,水深の計測が実施された。 |
エ |
中部地方で発生した地震の研究に基づいて大森式地震計が開発された頃,日英同盟の締結を契機に,イギリスの無線技術を基にした無線電信機が開発された。 |
〔問4〕 (4)環境問題などの解決のために生かされてきた。とあるが,次のⅠのグラフは,1965年から2013年までの,東京のある地点から富士山が見えた日数と,大気汚染の一因となる二酸化硫黄の東京における濃度の変化を示したものである。Ⅱの文章は,Ⅰのグラフのア〜エのいずれかの時期における国際情勢と,我が国や東京の環境対策などについてまとめたものである。Ⅱの文章で述べている時期に当てはまるのは,Ⅰのグラフのア〜エの時期のうちではどれか。
Ⅰ
(東京都環境局資料などより作成)
Ⅱ
東ヨーロッパ諸国で民主化運動が高まり,東西ドイツが統一されるなど国際協調の動きが強まる中で,国際連合を中心に地球温暖化防止策が協議され,温室効果ガスの排出量の削減について数値目標を設定した京都議定書が採択された。長野県では,施設建設において極力既存の施設を活用し,自然環境の改変が必要な場合は大会後復元を図った,オリンピック・パラリンピック冬季競技大会が開催され,東京都においては,「地球環境保全東京アクションプラン」を策定し,大気汚染の状況は改善された。この時期には,Ⅰのグラフの観測地点から平均して週1回は富士山を見ることができた。