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  (つぎ)は、鴨長明(かものちょうめい)()いた*方丈記(ほうじょうき)」に(かん)する対談(たいだん)一部(いちぶ)あり、は、対談中(たいだんちゅう)でてくる*無名抄(むみょうしょう)」の俊恵(しゅんえ)から長明(ちょうめい)へのアドバイスに()たる原文(げんぶん)一部(いちぶ)ある。また、あとの   (ない)文章(ぶんしょう)B現代語訳(げんだいごやく)ある。これらの文章(ぶんしょう)()んで、あとの各問(かくとい)(こた)えよ。(*(しるし)()いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)あとに(ちゅう)ある。)

A

駒井(こまい)   素朴(そぼく)疑問(ぎもん)ですが、(いま)出版(しゅっぱん)世界(せかい)だと、編集者(へんしゅうしゃ)いて「これを()いてくれませんか」という(はなし)なりますよね。方丈記(ほうじょうき)()いているときの長明(ちょうめい)には、(だれ)かに()ませるとか、後世(こうせい)(のこ)すとか、そういう(おも)いはあったのでしょうか。
蜂飼(はちかい)   どうなんでしょう、わかりませんね。(だれ)かに()んでもらう、あるいは()まれてしまう可能性(かのうせい)(かんが)えたのかなと(おも)いますが、結局(けっきょく)は、ゆかりのある(てら)僧侶(そうりょ)たちに(わた)ったんじゃないかと(おも)うんですよね。でも、現代的(げんだいてき)意味(いみ)()読者(どくしゃ)ってものを(かんが)えたかというと……当時(とうじ)手書(てが)きで、最初(さいしょ)一冊(いっさつ)しかない。それを()んでもらいたいとか、()まれてもいいと(かんが)えたのか、その(あた)りは研究(けんきゅう)などを()ても、推測(すいそく)(いき)()ものがありません。

  これがたとえば源氏(げんじ)物語(ものがたり)だったら、みんなで()んで()いて(たの)しむという、そういう舞台(ぶたい)想像(そうぞう)できるじゃないですか。それに(たい)して方丈記(ほうじょうき)のような作品(さくひん)は、どういう享受(きょうじゅ)され(かた)イメージしたか、想像(そうぞう)するのが意外(いがい)(むずか)しい。
(1)駒井(こまい)   宮廷(きゅうてい)文化(ぶんか)(なか)筆写(ひっしゃ)されたりして()まれるものであれば(べつ)ですが、この作品(さくひん)は、方丈(ほうじょう)(なか)()かれたものが(のこ)って、こうやって()きている。古典(こてん)(なか)でも、一味(ひとあじ)(ちが)(ちから)(つよ)(かん)じます。
蜂飼(はちかい)   (のち)平家(へいけ)物語(ものがたり)にも影響(えいきょう)あるわけですしね。そうなると、やはり、(つた)わる(ちから)当時(とうじ)から()っている作品(さくひん)だったんだと(おも)います。

  ただ、()()った(ひと)が、どういう部分(ぶぶん)(たい)してどういう(かん)(かた)したかということは、現代人(げんだいじん)には想像(そうぞう)(むずか)しいかもしれません。方丈記(ほうじょうき)最後(さいご)部分(ぶぶん)に、自分(じぶん)修行(しゅぎょう)(やま)(なか)(こも)っているのに、こんなことを()(つら)ねていてはいけないと自戒(じかい)する箇所(かしょ)あります。だから、そういうことを(ふく)め、修行(しゅぎょう)(はい)った(ひと)手記(しゅき)みたいなものとして当時(とうじ)()()()()ったんだろうなとは(おも)うんです。

  それに(たい)して、現代(げんだい)()ときに、読者(どくしゃ)どのような要素(ようそ)(とお)して方丈記(ほうじょうき)()()るかと(かんが)えると、自分(じぶん)自身(じしん)では(うん)ないと(おも)っている(ひと)個人的(こじんてき)来歴(らいれき)気持(きも)ち、それに自然(しぜん)描写(びょうしゃ)(うつく)しさ、そして災害(さいがい)記述(きじゅつ)()ある(しゅ)臨場感(りんじょうかん)そういった要素(ようそ)()()わけですよね。(2)ですから、まあ、さまざまな()()(かた)(たい)して(ひら)かれている作品(さくひん)()っていいのかなと(おも)いますよね。たった二十数(にじゅうすう)(まい)(みじか)めの作品(さくひん)あるにもかかわらず、いろんな(ちか)づき(かた)できると。
駒井(こまい)   (かれ)生涯(しょうがい)(さかのぼ)ると、方丈(ほうじょう)()(まえ)は、*禰宜(ねぎ)地位(ちい)()きたいとか、ひょっとしたら(うた)師匠(ししょう)だとか、ずいぶん(ぞく)っぽい(ゆめ)()っていたようですね。最初(さいしょ)から人生(じんせい)()てて*解脱(げだつ)していたとか、そういう(ひと)ではなかったということですよね。
蜂飼(はちかい)   そうですよね。とくに、自分(じぶん)()なった父親(ちちおや)(かか)わる*下鴨(しもがも)禰宜(ねぎ)(しょく)には、相当(そうとう)こだわったようです。それが実現(じつげん)できないということは、(おお)きかったのかなと(おも)います。
駒井(こまい)   ある(しゅ)挫折感(ざせつかん)のようなものがあったのでしょうか。
蜂飼(はちかい)   ええ。挫折(ざせつ)ですけど、自分(じぶん)では、(うん)ないという()(かた)しています。原文(げんぶん)言葉(ことば)だと*おのづから(みじか)(うん)(さと)りぬ」。ただ、この(ひと)自分(じぶん)自身(じしん)(うん)(わる)いと()っていますが、外面的(がいめんてき)(かんが)えれば、人間(にんげん)関係(かんけい)ではわりといい(ひと)たちに(めぐ)まれた部分(ぶぶん)あったと(おも)う。

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駒井(こまい)   (めぐ)まれていますよね。
蜂飼(はちかい)   たとえば、長明(ちょうめい)(うた)先生(せんせい)俊恵(しゅんえ)いう歌人(かじん)です。(3)俊恵(しゅんえ)から(あた)えられたアドバイスについては、長明(ちょうめい)()いた歌論書(かろんしょ)無名(むみょう)(しょう)』にいろいろ()きますが、俊恵(しゅんえ)もとにいたときの(おも)出話(でばなし)なども(しる)されていて面白(おもしろ)いですし、長明(ちょうめい)自身(じしん)魅力(みりょく)あったからこそ()のまわりにそういう関係(かんけい)できたんじゃないかと(おも)います。

  (かれ)は、琵琶(びわ)上手(じょうず)音楽家(おんがくか)でもありました。琵琶(びわ)先生(せんせい)*中原(なかはらの)有安(ありやす)いう(ひと)ですけど、この(ひと)長明(ちょうめい)()かけている。そんなところに注目(ちゅうもく)すると、本人(ほんにん)不遇(ふぐう)だったと()うけれども、ただそればかりではなかっただろうと(おも)うのです。
駒井(こまい)   本人(ほんにん)そう(おも)っても、(うた)先生(せんせい)(すぐ)れた(ひと)だったり、琵琶(びわ)師匠(ししょう)よくしてくれたり、客観的(きゃっかんてき)()ると結構(けっこう)(めぐ)まれた人間(にんげん)関係(かんけい)(なか)()きた(ひと)じゃないですか。
蜂飼(はちかい)   そうです。あと、後鳥羽院(ごとばいん)後鳥羽院(ごとばいん)長明(ちょうめい)にはかなり()かけていた。(かれ)新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)企画(きかく)して、そのために設置(せっち)した和歌所(わかどころ)いう機関(きかん)あります。そこで(はたら)メンバーの一人(ひとり)(えら)ばれているんです。(ほか)メンバーはみんな貴族(きぞく)で、長明(ちょうめい)地下(じげ)(ひと)昇殿(しょうでん)(ゆる)されていない官人(かんじん)身分(みぶん)(ひと)なんですけども、大抜擢(だいばってき)されてそこに(はい)って仕事(しごと)している。

  そうなると、(うた)(いのち)()けている(ひと)ですから、一生(いっしょう)懸命(けんめい)仕事(しごと)したらしい。(わたし)たち現代人(げんだいじん)は、長明(ちょうめい)まず方丈記(ほうじょうき)作者(さくしゃ)だと(おも)いますけど、(かれ)まず歌人(かじん)なんですよ。それで、和歌所(わかどころ)事務方(じむかた)(ちょう)あたる仕事(しごと)していた(みなもとの)家長(いえなが)いう(ひと)()いた家長(いえなが)日記(にっき)(なか)に、長明(ちょうめい)精勤(せいきん)ぶりは素晴(すば)らしいとある。(4)そういうところに、長明(ちょうめい)物事(ものごと)かける情熱(じょうねつ)いうか、人間(にんげん)(くさ)さが(あらわ)れているなあと(おも)うんです。

  蜂飼(はちかい)(みみ)駒井(こまい)(みのる)(かもの)長明(ちょうめい)方丈記(ほうじょうき)』」〈「文学(ぶんがく)こそ最高(さいこう)教養(きょうよう)ある」所収(しょしゅう)〉による)

B

  (うた)(きは)めたる故実(こじつ)(はべ)るなり。われをまことに()(たの)まれば、このこと(たが)へらるな。そこはかならず(すえ)()歌仙(かせん)にていますかるべき(うえ)に、かやうに(ちぎ)りをなさるれば(もう)(はべ)るなり。あなかしこあなかしこ、われ(ひと)(ゆる)さるるほどになりたりとも、証得(しょうとく)して、われは気色(きそく)したる(うた)()(たま)ふな。ゆめゆめあるまじきことなり。後徳大寺(ごとくだいじ)大臣(おとど)左右(さう)なき()だりにていませしかど、その故実(こじつ)なくて、(いま)()みくち後手(のちて)なり(たま)へり。そのかみ(さき)大納言(だいなごん)など()こえし(とき)(みち)(しっ)し、(ひと)()ぢて、(みが)()てたりし(とき)ままならば、(いま)(かた)(なら)(ひと)(すく)なからまし。われ(いた)りにたりとて、この(ころ)()まるる(うた)は、(すこ)しも(おも)()れず、やや(こころ)づきなき言葉(ことば)うち()ぜたれば、(なに)よりてかは秀歌(しゅうか)()()む。秀逸(しゅういつ)なければまた(ひと)(もち)ゐず。(うた)当座(とうざ)にこそ、(ひと)がらによりて()くも()しくも()ゆれど、後朝(ごちょう)(いま)一度(いちど)(しず)かに()たるたびは、さはいへども、風情(ふぜい)こもり、姿(すがた)すなほなる(うた)こそ()とほしは(はべ)れ。

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  (うた)にはこの(うえ)ない(むかし)からの心得(こころえ)あるのです。(わたし)本当(ほんとう)()信頼(しんらい)なさるのならば、このことを(まも)っていただきたい。あなたは(5)かならずやこの(さき)()(なか)(うた)名人(めいじん)いらっしゃるに(ちが)いない(うえ)に、このように師弟(してい)約束(やくそく)されたので(もう)すのです。(けっ)して(けっ)して、自分(じぶん)他人(たにん)(みと)められるようになったとしても、得意(とくい)なって、われこそはという様子(ようす)した(うた)()みなさいますな。(けっ)して(けっ)してしてはならないことである。*後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣(さだいじん)藤原(ふじわらの)実定(さねさだ)(こう)(なら)もののない名手(めいしゅ)いらっしゃったが、その心得(こころえ)なくて、(いま)では()みぶりが(おと)ってこられた。以前(いぜん)前大納言(ぜんだいなごん)などと(もう)()げた(とき)(うた)(みち)執着(しゅうちゃく)し、他人(たにん)()()し、切磋(せっさ)琢磨(たくま)された(とき)ままであったならば、(いま)では(かた)(なら)べる(ひと)(すく)ないであろう。自分(じぶん)名人(めいじん)境地(きょうち)到達(とうたつ)したのだと(おも)って、近頃(ちかごろ)()みになる(うた)は、(すこ)しも(ふか)(こころ)()めず、ややもすれば感心(かんしん)しない言葉(ことば)()ぜているから、どうして秀歌(しゅうか)出来(でき)ことがあろうか。秀作(しゅうさく)なければ二度(にど)他人(たにん)相手(あいて)しない。(うた)()んだその()でこそ、()()(ひと)となりによって()くも(わる)くも()こえるが、翌朝(よくあさ)もう(いちど)(しず)かに()場合(ばあい)には、そうは()っても、情趣(じょうしゅ)(うち)こめられ、(うた)姿(すがた)すなおな(うた)こそいつまでも()いられるものです。

久保田(くぼた)(あつし)無名(むみょう)(しょう)」による)

(ちゅう)

方丈記(ほうじょうき)—— 鎌倉(かまくら)時代(じだい)(かもの)長明(ちょうめい)()いた随筆(ずいひつ)京都(きょうと)郊外(こうがい)ある方丈(ほうじょう)(たたみ)四畳半(よじょうはん)ほどの(ひろ)部屋(へや)()みながら()いたことから名付(なづ)けられた。

無名抄(むみょうしょう)—— 鎌倉(かまくら)時代(じだい)(かもの)長明(ちょうめい)()いた歌論書(かろんしょ)

禰宜(ねぎ)—— 神社(じんじゃ)おける職名(しょくめい)(ひと)つ。

解脱(げだつ)—— (なや)みや(まよ)いから()()て、自由(じゆう)境地(きょうち)(たっ)すること。

下鴨(しもがも)—— 京都(きょうと)ある下鴨(しもがも)神社(じんじゃ)こと。

おのづから(みじか)(うん)(さと)りぬ—— 自分(じぶん)には(うん)ないということを自然(しぜん)()った。

中原(なかはらの)有安(ありやす)—— 平安(へいあん)時代(じだい)末期(まっき)歌人(かじん)音楽家(おんがくか)

後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣(さだいじん)藤原(ふじわらの)実定(さねさだ)—— 平安(へいあん)時代(じだい)末期(まっき)から鎌倉(かまくら)時代(じだい)初期(しょき)かけての歌人(かじん)

(とい)1   (1)駒井(こまい)さんの発言(はつげん)この対談(たいだん)おける役割(やくわり)説明(せつめい)したものとして(もっと)適切(てきせつ)なのは、(つぎ)うちではどれか。

直前(ちょくぜん)蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)賛同(さんどう)しつつ、方丈記(ほうじょうき)魅力(みりょく)(かた)ことで、話題(わだい)源氏(げんじ)物語(ものがたり)から方丈記(ほうじょうき)(もど)そうとしている。
源氏(げんじ)物語(ものがたり)方丈記(ほうじょうき)(かん)する蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)()け、(ふた)つの作品(さくひん)共通点(きょうつうてん)()べて、平家(へいけ)物語(ものがたり)話題(わだい)へと(ひろ)げている。
(みずか)らの疑問(ぎもん)(たい)する蜂飼(はちかい)さんの見解(けんかい)()け、作品(さくひん)()()れられ(かた)(かん)する方丈記(ほうじょうき)評価(ひょうか)()べて、(つぎ)発言(はつげん)(うなが)している。
(ふた)つの作品(さくひん)(たい)()する蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)()け、方丈記(ほうじょうき)(しぼ)って感想(かんそう)()べることで、話題(わだい)焦点化(しょうてんか)するきっかけとしている。

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(とい)2   (2)ですから、まあ、さまざまな()()(かた)(たい)して(ひら)かれている作品(さくひん)()っていいのかなと(おも)いますよね。あるが、「さまざまな()()(かた)(たい)して(ひら)かれている作品(さくひん)ついて説明(せつめい)したものとして、(もっと)適切(てきせつ)なのは、(つぎ)うちではどれか。

()かれている話題(わだい)多様(たよう)ことから、(なに)主要(しゅよう)要素(ようそ)()()るかは、現代(げんだい)おける読者(どくしゃ)(ひろ)(ゆだ)ねられている作品(さくひん)
過去(かこ)読者(どくしゃ)よりも、現代(げんだい)読者(どくしゃ)(こころ)*()さぶるような内容(ないよう)複数(ふくすう)()かれていて、現代(げんだい)読者(どくしゃ)でも理解(りかい)しやすい作品(さくひん)
古典(こてん)(なか)でも(みじか)いとされてはいるものの、()かれた当時(とうじ)読者(どくしゃ)()めば、多様(たよう)()()(かた)できたと(おも)われる作品(さくひん)
修行中(しゅぎょうちゅう)に、(ほか)ことに没頭(ぼっとう)する自分(じぶん)(いまし)めようとして()かれているため、現代人(げんだいじん)修行(しゅぎょう)する(さい)にも(おお)いに参考(さんこう)なる作品(さくひん)

(とい)3   (3)俊恵(しゅんえ)から(あた)えられたアドバイスについては、長明(ちょうめい)()いた歌論書(かろんしょ)無名(むみょう)(しょう)いろいろ()きますが、とあるが、原文(げんぶん)おいて、俊恵(しゅんえ)()いと(おも)(うた)どのようなものだと()かれているか。(つぎ)うちから(もっと)適切(てきせつ)ものを(えら)べ。

証得(しょうとく)して、われは気色(きそく)したる(うた)()(たま)ふな
われ(いた)りにたりとて、この(ころ)()まるる(うた)
(なに)よりてかは秀歌(しゅうか)()()
風情(ふぜい)こもり、姿(すがた)すなほなる(うた)

(とい)4   (4)そういうところに、長明(ちょうめい)物事(ものごと)かける情熱(じょうねつ)いうか、人間(にんげん)(くさ)さが(あらわ)れているなあと(おも)うんです。あるが、「そういうところに、長明(ちょうめい)物事(ものごと)かける情熱(じょうねつ)いうか、人間(にんげん)(くさ)さが(あらわ)れている」ついて説明(せつめい)したものとして、(もっと)適切(てきせつ)なのは、(つぎ)うちではどれか。

(うた)才能(さいのう)(みと)められていたにもかかわらず、方丈記(ほうじょうき)価値(かち)(みと)められなかったところに、不運(ふうん)長明(ちょうめい)らしさが()いるということ。
(うた)精進(しょうじん)していたのに、歌人(かじん)ではなく方丈記(ほうじょうき)作者(さくしゃ)だと世間(せけん)(おも)われていたところに、宿命的(しゅくめいてき)長明(ちょうめい)人生(じんせい)(あらわ)れているということ。
不運(ふうん)だと()いながら、(めぐ)まれた人間(にんげん)関係(かんけい)(なか)(うた)音楽(おんがく)才能(さいのう)(みと)められ意欲的(いよくてき)()()姿(すがた)に、長明(ちょうめい)魅力(みりょく)にじみ()いるということ。
(のぞ)職業(しょくぎょう)()けず、自分(じぶん)才能(さいのう)開花(かいか)しないのは(うん)ないだけだと(おも)姿勢(しせい)に、長明(ちょうめい)前向(まえむ)きで(どう)じない人柄(ひとがら)(しめ)されているということ。

(とい)5   (5)かならずやあるが、この言葉(ことば)直接(ちょくせつ)かかるのは、(つぎ)うちのどれか。

名人(めいじん)
いらっしゃるに
(ちが)いない
(もう)すのです

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