令(れい)和(わ)4年度(ねんど)  東京都(とうきょうと)  高校(こうこう)入試(にゅうし)問題(もんだい)

国語(こくご)

注意(ちゅうい)

1 問題(もんだい)は 1 から 5 までで、12ページにわたって印刷(いんさつ)してあります。
2 検査(けんさ)時間(じかん)は五〇(ごじっ)分(ぷん)で、終(お)わりは午前(ごぜん)九時(くじ)五〇(ごじっ)分(ぷん)です。
3 声(こえ)を出(だ)して読(よ)んではいけません。
4 答(こた)えは全(すべ)て解答(かいとう)用紙(ようし)にHB又(また)はBの鉛筆(えんぴつ)(シャープペンシルも可(か))を使(つか)って明確(めいかく)に記入(きにゅう)し、解答(かいとう)用紙(ようし)だけを提出(ていしゅつ)しなさい。
5 答(こた)えは特別(とくべつ)の指示(しじ)のあるもののほかは、各問(かくとい)のア・イ・ウ・エのうちから、最(もっと)も適切(てきせつ)なものをそれぞれ一(ひと)つずつ選(えら)んで、その記号(きごう)のimage00001.jpgの中(なか)を正確(せいかく)に塗(ぬ)りつぶしなさい。
6 答(こた)えを記述(きじゅつ)する問題(もんだい)については、解答(かいとう)用紙(ようし)の決(き)められた欄(らん)からはみ出(だ)さないように書(か)きなさい。
7 答(こた)えを直(なお)すときは、きれいに消(け)してから、消(け)しくずを残(のこ)さないようにして、新(あたら)しい答(こた)えを書(か)きなさい。
8 受検(じゅけん)番号(ばんごう)を解答(かいとう)用紙(ようし)の決(き)められた欄(らん)に書(か)き、その数字(すうじ)のimage00002.jpgの中(なか)を正確(せいかく)に塗(ぬ)りつぶしなさい。
9 解答(かいとう)用紙(ようし)は、汚(よご)したり、折(お)り曲(ま)げたりしてはいけません。

 

1

 1 

  次(つぎ)の各文(かくぶん)の     を付(つ)けた漢字(かんじ)の読(よ)みがなを書(か)け。

(1) 郷土(きょうど)資料館(しりょうかん)の学芸員(がくげいいん)から話(はなし)を伺い、町(まち)の歴史(れきし)を学(まな)ぶ。
(2) 麦茶(むぎちゃ)を冷(ひ)やすために氷(こおり)を砕いてグラスに入(い)れる。
(3) 地道(じみち)な清掃(せいそう)活動(かつどう)が周囲(しゅうい)に良(よ)い影響を及(およ)ぼす。
(4) 入念(にゅうねん)な準備(じゅんび)により、会議(かいぎ)が円滑に進(すす)む。
(5) 産業(さんぎょう)遺産(いさん)を観光(かんこう)バスで巡る。

 2 

  次(つぎ)の各文(かくぶん)の     を付(つ)けたかたかなの部分(ぶぶん)に当(あ)たる漢字(かんじ)を楷書(かいしょ)で書(か)け。

(1) 朗読(ろうどく)劇(げき)で主人公(しゅじんこう)の役(やく)をエンじる。
(2) 研究(けんきゅう)のためにムズカしい論文(ろんぶん)を読(よ)む。
(3) 決勝(けっしょう)でシュクメイの相手(あいて)と対戦(たいせん)する。
(4) 兄(あに)は、早朝(そうちょう)のジョギングをシュウカンとしている。
(5) 保育園(ほいくえん)で園児(えんじ)たちのスコやかな寝顔(ねがお)を眺(なが)めて気持(きも)ちが和(なご)む。

 3 

  次(つぎ)の文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。(*印(じるし)の付(つ)いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)のあとに〔注(ちゅう)〕がある。)

 

  目覚(めざ)ましをセットした時刻(じこく)を三十分(さんじっぷん)も過(す)ぎている。知(し)らないうちに止(と)めて、またうとうとしてしまったらしい。慌(あわ)ててパジャマのまま台所(だいどころ)へ飛(と)んでいくと、ヨシ江(え)が洗(あら)い物(もの)をしているところだった。

「シゲ爺(じい)は?」

「ああ、おはよう。」

「おはよ。ねえ、シゲ爺(じい)は?」

「さっき出(で)かけてっただわ。」

「うそ、なんで?」

  ほんのちょっと声(こえ)をかけてくれたらすぐ起(お)きたのに、どうして置(お)いていくのか。部屋(へや)を覗(のぞ)いた曾祖父母(そうそふぼ)が、〈よーく眠(ねむ)ってるだわい〉〈可哀想(かわいそう)だからこのまま寝(ね)かせとくだ〉などと苦笑(くしょう)し合(あ)う様子(ようす)が想像(そうぞう)されて、地団駄(じだんだ)を踏(ふ)みたくなる。

「どうして起(お)こしてくんなかったの?  昨日(きのう)あたし、一緒(いっしょ)に行(い)くって言(い)ったのに。」

  するとヨシ江(え)は、スポンジで茶碗(ちゃわん)をこすりながら雪乃(ゆきの)をちらりと見(み)た。

「起(お)こそうとしただよぅ、私(わたし)は。けどあのひとが、ほっとけって言(い)うだから。」

(1)「……え?」

「『雪乃(ゆきの)が自分(じぶん)で、*まっと早起(はやお)きして手伝(てつだ)うから連(つ)れてけって言(い)っただわ。こっちが起(お)こしてやる必要(ひつよう)はねえ、起(お)きてこなけりゃ置(お)いてくまでだ』って。」

  心臓(しんぞう)が硬(かた)くなる思(おも)いがした。茂三(しげぞう)の言(い)うとおりだ。

(2)無言(むごん)で洗面所(せんめんじょ)へ走(はし)ると、超特急(ちょうとっきゅう)で顔(かお)を洗(あら)い、歯(は)を磨(みが)き、部屋(へや)へ戻(もど)ってシャツとジーンズに着替(きが)えた。ぼさぼさの髪(かみ)をとかしている暇(ひま)はない。ゴムでひとつにくくる。

  土間(どま)で長靴(ながぐつ)を履(は)き、

「行(い)ってきます!」

  駆(か)け出(だ)そうとする背中(せなか)へ、ヨシ江(え)の声(こえ)がかかった。

「ちょっと待(ま)ちない、いってぇどこへ行(い)くつもりだいや。」

  雪乃(ゆきの)は、あ、と立(た)ち止(ど)まった。そうだ、今日(きょう)はどの畑(はたけ)で作業(さぎょう)しているかを聞(き)いていない。

2

「そんなにまっくろけぇして行(い)かんでも大丈夫(だいじょうぶ)、爺(じい)やんは怒(おこ)っちゃいねえだから。」

  ヨシ江(え)は笑(わら)って言(い)った。〈まっくろけぇして〉とは、慌(あわ)てて、という意味(いみ)だ。目(め)の前(まえ)に、白(しろ)い布巾(ふきん)できゅっとくるまれた包(つつ)みが差(さ)し出(だ)される。

「ほれ、タラコと梅干(うめぼ)しのおにぎり。行(い)ったらまず、座(すわ)ってお食(た)べ。朝(あさ)ごはん抜(ぬ)きじゃあ一人前(いちにんまえ)に働(はたら)けねえだから。」

「……わかった。ありがと。」

「急(いそ)いで走(はし)ったりしたら、てっくりけぇるだから、気(き)をつけてゆっくり行(い)くだよ。雪(ゆき)ちゃんが後(あと)からちゃーんと行(い)くって、爺(じい)やんにはわかってただわい。いつもは出(で)がけになーんも言(い)わねえのに、今日(きょう)はわざわざ『ブドウ園(えん)の隣(となり)の畑(はたけ)にいるだから』って言(い)ってっただもの。」

  再(ふたた)びヨシ江(え)に礼(れい)を言(い)って、雪乃(ゆきの)は外(そと)へ出(で)た。

  あたりはもう充分(じゅうぶん)に明(あか)るい。朝焼(あさや)けの薔薇(ばら)色(いろ)もすでに薄(うす)れ、青(あお)みのほうが強(つよ)くなっている。すっかり春(はる)とはいえ、この時間(じかん)の気温(きおん)は低(ひく)くて、息(いき)を吸(す)い込(こ)むとお腹(なか)の中(なか)までひんやり冷(つめ)たくなる。

  よその家(いえ)の納屋(なや)に明(あ)かりが灯(とも)っている。どこかでトラクターのエンジン音(おん)が聞(き)こえる。農家(のうか)の朝(あさ)はとっくに始(はじ)まっているのだ。大(おお)きく深呼吸(しんこきゅう)をしてから、雪乃(ゆきの)は、やっぱり走(はし)りだした。

  長靴(ながぐつ)ががぽがぽと鳴(な)る。まっくろけぇしててっくりけぇることのないように気(き)をつけながら、舗装(ほそう)された坂道(さかみち)を駆(か)け上(あ)がる。ふだん軽(けい)トラックですいすい登(のぼ)る坂(さか)が、思(おも)ったよりずっと急(きゅう)であることに驚(おどろ)く。

  息(いき)を切(き)らしながらブドウ園(えん)の手前(てまえ)を左(ひだり)へ曲(ま)がり、砂利道(じゃりみち)に入(はい)ってなおも走(はし)ると、畑(はたけ)が見(み)えてきた。整然(せいぜん)とのびる畝(うね)の間(あいだ)に、紺色(こんいろ)の*ヤッケを着(き)て腰(こし)をかがめる茂三(しげぞう)の姿(すがた)がある。急(きゅう)に立(た)ち止(ど)まったせいで足(あし)がもつれ、危(あや)うく本当(ほんとう)にてっくりけぇりそうになった。

「シ……。」

(3)張(は)りあげかけた声(こえ)を飲(の)みこむ。

  ヨシ江(え)はあんなふうに言(い)ってくれたけれど、ほんとうに茂三(しげぞう)は怒(おこ)っていないだろうか。少(すく)なくとも、すごくあきれているんじゃないだろうか。謝(あやま)ろうにも、この距離(きょり)ではどんなふうに切(き)り出(だ)せばいいかわからない。

  布巾(ふきん)でくるまれたおにぎりをそっと抱(かか)え、立(た)ち尽(つ)くしたままためらっていると、茂三(しげぞう)が立(た)ちあがり、痛(いた)む腰(こし)を伸(の)ばした拍子(ひょうし)にこちらに気(き)づいた。

(4)「おーう、雪乃(ゆきの)。やーっと来(き)ただかい、寝(ね)ぼすけめ。」

  笑顔(えがお)とともに掛(か)けられた、からかうようなそのひと言(こと)で、胸(むね)のつかえがすうっと楽(らく)になってゆく。手招(てまね)きされ、雪乃(ゆきの)はそばへ行(い)った。

「ごめんなさい、シゲ爺(じい)。」

「なんで謝(あやま)るだ。」

  ロゴの入(はい)った帽子(ぼうし)のひさしの下(した)で、皺(しわ)ばんだ目(め)が面白(おもしろ)そうに光(ひか)る。

「だってあたし、あんなえらそうなこと言(い)っといて……。」

「そんでも、こやって手伝(てつだ)いに来(き)てくれただに。」

「それは、そうだけど……。」

「婆(ばあ)やんに起(お)こされただか?」

「ううん。知(し)らない間(あいだ)に目覚(めざ)ましを止(と)めちゃったみたいで寝坊(ねぼう)したけど、なんとか自分(じぶん)で起(お)きたよ。」

  起(お)きたとたんに〈げぇっ〉て叫(さけ)んじゃった、と話(はな)すと、茂三(しげぞう)はおかしそうに笑(わら)った。

3

「いやいや、それでもてぇしたもんだわい。いっつも、婆(ばあ)やんがぶつくさ言(い)ってるだに。『雪(ゆき)ちゃんは、起(お)こしても起(お)こしても起(お)きちゃこねえでおえねえわい』つって。それが、いっペん目覚(めざ)まし時計(どけい)止(と)めて、そんでもなお自分(じぶん)で起(お)きたっちゅうなら、そりゃあなおさらてぇしたことだでほー。」

「……シゲ爺(じい)、怒(おこ)ってないの?」

「だれぇ、なーんで怒(おこ)るぅ。起(お)きようと自分(じぶん)で決(き)めて、いつもよりかは早(はや)く起(お)きただもの、堂々(どうどう)と胸(むね)張(は)ってりゃいいだわい。」

  雪乃(ゆきの)は、頷(うなず)いた。目標(もくひょう)を半分(はんぶん)しか達成(たっせい)できなかったのに、半分(はんぶん)は達成(たっせい)できた、と言(い)ってくれる曾祖父(そうそふ)のことを、改(あらた)めて大好(だいす)きだと思(おも)った。

「よし、そんなら手伝(てつだ)ってくれ。ジャガイモの*芽搔(めか)きだ。ああ、いやその前(まえ)に、まずはそれを食(く)っちまえ。ゆっくり嚙(か)んでな。」

  雪乃(ゆきの)が手(て)にしている布(ぬの)包(づつ)みの中身(なかみ)がおにぎりだと、一目(ひとめ)でわかったらしい。畑(はたけ)の端(はし)に座(すわ)ってタラコと梅干(うめぼ)しのおにぎりを食(た)べながら、茂三(しげぞう)の手(て)もとを見守(みまも)る。去年(きょねん)の十一月(じゅういちがつ)、骨(ほね)にひびが入(はい)った手首(てくび)はだいぶ良(よ)くなったようだが、無理(むり)な力(ちから)がかかるとやはり痛(いた)むらしい。

  ひと月(つき)ほど前(まえ)、航介(こうすけ)とともに雪乃(ゆきの)も植(う)え付(つ)けに参加(さんか)した。半分(はんぶん)にしたイモの切(き)り口(くち)に草木灰(そうもくばい)をつけて乾(かわ)かし、断面(だんめん)を下(した)に、芽(め)を上(うえ)にして植(う)えてゆくのだ。父親(ちちおや)は別(べつ)のやり方(かた)も試(ため)してみると言(い)って、畑(はたけ)の奥(おく)半分(はんぶん)は断面(だんめん)のほうを上(うえ)にして植(う)えていた。昔(むかし)からあった方法(ほうほう)らしいが、最近(さいきん)の研究(けんきゅう)では、このほうが収穫(しゅうかく)は遅(おそ)くなるけれども病気(びょうき)にかかりにくいという結果(けっか)が出(で)たのだそうだ。

(5)お父(とう)さんもいろいろ勉強(べんきょう)してるんだな、と思(おも)ってみる。自分(じぶん)にとって新(あたら)しいことを始(はじ)める時(とき)は、茂(しげ)三(ぞう)のような大先輩(だいせんぱい)の培(つちか)ってきた知恵(ちえ)を素直(すなお)に受(う)け容(い)れることも大切(たいせつ)だし、また一方(いっぽう)で、すべてを鵜呑(うの)みにするのではなく、一旦(いったん)は疑(うたが)ってみることも必要(ひつよう)なのかもしれない。

  よく嚙(か)んで、けれどできるだけ急(いそ)いで食(た)べ終(お)えて、雪乃(ゆきの)は茂三(しげぞう)のそばへ行(い)った。一緒(いっしょ)にジャガイモの畝(うね)の間(あいだ)にかがみ込(こ)む。

(村山(むらやま)由佳(ゆか)「雪(ゆき)のなまえ」による)

 

〔注(ちゅう)〕

まっと —— もっと。

 

ヤッケ —— フードの付(つ)いた、防風(ぼうふう)・防水(ぼうすい)・防寒用(ぼうかんよう)の上着(うわぎ)。

 

芽搔(めか)き —— 果樹(かじゅ)、野菜等(やさいとう)の発育(はついく)を調整(ちょうせい)するために、不要(ふよう)な芽(め)を、長(なが)く伸(の)びないうちに指(ゆび)で取(と)ること。

 

〔問(とい)1〕  (1)「……え?」とあるが、このときの雪乃(ゆきの)の気持(きも)ちに最(もっと)も近(ちか)いのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア ヨシ江(え)がどのようにして、温厚(おんこう)な茂三(しげぞう)に自分(じぶん)のことを放(ほう)っておけと言(い)わせたのか、ヨシ江(え)から聞(き)いてみたいと思(おも)う気持(きも)ち。
イ 起(お)こしてくれると約束(やくそく)していた茂三(しげぞう)が、自分(じぶん)を置(お)いたまま畑(はたけ)に行(い)ったことが信(しん)じられず、ヨシ江(え)の言葉(ことば)を疑(うたが)う気持(きも)ち。
ウ 茂三(しげぞう)とヨシ江(え)が、苦笑(くしょう)しながら自分(じぶん)を起(お)こさずに置(お)いていこうとする様子(ようす)を想像(そうぞう)し、悔(くや)しさが込(こ)み上(あ)げる気持(きも)ち。
エ 一緒(いっしょ)に畑(はたけ)へ行(い)きたいと伝(つた)えていたにもかかわらず、茂三(しげぞう)が自分(じぶん)を放(ほう)っておくように言(い)ったと聞(き)き、戸惑(とまど)う気持(きも)ち。

4

〔問(とい)2〕  (2)無言(むごん)で洗面所(せんめんじょ)へ走(はし)ると、超特急(ちょうとっきゅう)で顔(かお)を洗(あら)い、歯(は)を磨(みが)き、部屋(へや)へ戻(もど)ってシャツとジーンズに着替(きが)えた。とあるが、この表現(ひょうげん)について述(の)べたものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 早(はや)く出(で)かけたいというあせりから不安(ふあん)へと気持(きも)ちが変化(へんか)する様子(ようす)を、丁寧(ていねい)に描写(びょうしゃ)することで、説明的(せつめいてき)に表現(ひょうげん)している。
イ 自分(じぶん)の甘(あま)えに気(き)づき急(いそ)いで身支度(みじたく)する様子(ようす)を、場面(ばめん)の描写(びょうしゃ)を短(みじか)く区切(くぎ)りながら展開(てんかい)することで、印象的(いんしょうてき)に表現(ひょうげん)している。
ウ 遅(おく)れを取(と)り戻(もど)したくて速(すみ)やかに動(うご)く様子(ようす)を、同(おな)じ語句(ごく)の繰(く)り返(かえ)しとたとえを用(もち)いることで、躍動的(やくどうてき)に表現(ひょうげん)している。
エ 情(なさ)けない思(おも)いで押(お)し黙(だま)って出(で)かける準備(じゅんび)をする心情(しんじょう)や様子(ようす)を、細部(さいぶ)まで詳(くわ)しく描(えが)くことで、写実的(しゃじつてき)に表現(ひょうげん)している。

 

〔問(とい)3〕  (3)張(は)りあげかけた声(こえ)を飲(の)みこむ。とあるが、このときの雪乃(ゆきの)の気持(きも)ちに最(もっと)も近(ちか)いのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 畑(はたけ)まで急(いそ)いで走(はし)ってきたため、思(おも)っていた以上(いじょう)に早(はや)く着(つ)き、茂三(しげぞう)を驚(おどろ)かせようとして声(こえ)のかけ方(かた)を決(き)めかねている気持(きも)ち。
イ 畑(はたけ)で農作業(のうさぎょう)をしている茂三(しげぞう)のそばに駆(か)け寄(よ)り、話(はな)しかけようとしたが、なかなか気(き)づいてもらえず困惑(こんわく)する気持(きも)ち。
ウ 茂三(しげぞう)が、自分(じぶん)に対(たい)してどのような思(おも)いを抱(いだ)いているかつかみきれず、声(こえ)をかけることをためらう気持(きも)ち。
エ 茂三(しげぞう)が快(こころよ)く許(ゆる)してくれないと思(おも)うと、自分(じぶん)から声(こえ)をかけづらく、気(き)づくまで待(ま)つことでしか誠意(せいい)を示(しめ)せないと思(おも)う気持(きも)ち。

 

〔問(とい)4〕  (4)「おーう、雪乃(ゆきの)。やーっと来(き)ただかい、寝(ね)ぼすけめ。」とあるが、この表現(ひょうげん)から読(よ)み取(と)れる茂三(しげぞう)の様子(ようす)として最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア きっと来(く)るだろうと思(おも)いながら待(ま)っていた雪乃(ゆきの)の姿(すがた)を見付(みつ)け、ちゃかすような口調(くちょう)で、うれしそうに迎(むか)え入(い)れようとする様子(ようす)。
イ 雪乃(ゆきの)が来(き)たことを喜(よろこ)びながらも、普段(ふだん)から早起(はやお)きが苦手(にがて)なひ孫(まご)をもて余(あま)しているため、できるだけ反省(はんせい)を促(うなが)そうとする様子(ようす)。
ウ 身支度(みじたく)が遅(おそ)いために待(ま)たずに置(お)いてきたことを気(き)にしていたが、雪乃(ゆきの)が来(き)たことを喜(よろこ)んで、照(て)れ隠(かく)しでからかっている様子(ようす)。
エ 遅(おく)れて畑(はたけ)に来(き)た雪乃(ゆきの)に対(たい)して、昨日(きのう)の心無(こころな)い発言(はつげん)は大目(おおめ)に見(み)て、子供(こども)らしいことだと理解(りかい)して温(あたた)かく接(せっ)しようとする様子(ようす)。

 

〔問(とい)5〕  (5)お父(とう)さんもいろいろ勉強(べんきょう)してるんだな、と思(おも)ってみる。とあるが、雪乃(ゆきの)が「お父(とう)さんもいろいろ勉強(べんきょう)してるんだな、と思(おも)ってみ」たわけとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 今朝(けさ)寝過(ねす)ごしたことを思(おも)い返(かえ)し、曾祖(そうそ)父母(ふぼ)に起(お)こされた自分(じぶん)をふがいなく思(おも)い、自立(じりつ)している父(ちち)に学(まな)びたいと考(かんが)えているから。
イ けがが治(なお)って精力的(せいりょくてき)に働(はたら)く茂三(しげぞう)の様子(ようす)を眺(なが)めながら、父(ちち)の取(と)り組(く)みを振(ふ)り返(かえ)り、父(ちち)が茂三(しげぞう)を尊敬(そんけい)する理由(りゆう)を理解(りかい)しようとしているから。
ウ 農業(のうぎょう)に興味(きょうみ)をもち始(はじ)めた自分(じぶん)が、父(ちち)と茂三(しげぞう)の行動(こうどう)を思(おも)い返(かえ)し、経験(けいけん)に基(もと)づく茂三(しげぞう)よりも研究(けんきゅう)熱心(ねっしん)な父(ちち)を手本(てほん)にしようとしているから。
エ 茂三(しげぞう)が用(もち)いた方法(ほうほう)にとらわれない父(ちち)の農作業(のうさぎょう)の工夫(くふう)を思(おも)い返(かえ)し、新(あら)たな視点(してん)で、大人(おとな)たちの姿(すがた)について考(かんが)えようとしているから。

 4 

  次(つぎ)の文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。(*印(じるし)の付(つ)いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)のあとに〔注(ちゅう)〕がある。)

 

  人間(にんげん)以外(いがい)の動物(どうぶつ)の行動(こうどう)を観察(かんさつ)すると、原始的(げんしてき)なレベルではあるが、知能的(ちのうてき)と呼(よ)ぶにふさわしい行為(こうい)を行(おこな)っていると考(かんが)えざるを得(え)ない場面(ばめん)に遭遇(そうぐう)する。そうでなければ多(おお)くの動物(どうぶつ)が見(み)せるかなり複雑(ふくざつ)な振舞(ふるま)いを説明(せつめい)できない、という意味(いみ)である。例(たと)えばタイに生息(せいそく)するカニクイザルは、石(いし)を道具(どうぐ)に使(つか)ってカニや植物(しょくぶつ)の実(み)の堅(かた)い殻(から)を割(わ)って果肉(かにく)を取(と)り出(だ)す。対象(たいしょう)ごとに石(いし)を変(か)える。鳥(とり)でさえ、厚手(あつで)の木(こ)の葉(は)をむしって細長(ほそなが)いヘラ状(じょう)のものをつくり、それを道具(どうぐ)として用(もち)いて、木(き)の穴(あな)の中(なか)の虫(むし)をつり出(だ)して餌(えさ)とするものがいる。このような特殊(とくしゅ)なものでなくても、多(おお)くの動物(どうぶつ)の行動(こうどう)はでたらめなものではなく、一定(いってい)の目的(もくてき)、例(たと)えば餌(えさ)を獲(え)るという目的(もくてき)を達成(たっせい)するために、一連(いちれん)の秩序(ちつじょ)だった必然的(ひつぜんてき)な行動(こうどう)を取(と)っている。中(なか)には行動(こうどう)パターンとして見(み)た場合(ばあい)、人間(にんげん)の子供(こども)より複雑(ふくざつ)なものもある。(1)人間(にんげん)や動物(どうぶつ)という先入観(せんにゅうかん)を離(はな)れて、純粋(じゅんすい)に行為(こうい)の知能性(ちのうせい)という点(てん)で見(み)れば、知能(ちのう)の違(ちが)いは計画的(けいかくてき)な行動(こうどう)の複雑(ふくざつ)さの違(ちが)いに現(あらわ)れるものであって、人間(にんげん)と動物(どうぶつ)の間(あいだ)で本質(ほんしつ)の部分(ぶぶん)に大(おお)きな差(さ)はないと言(い)える。(第一段(だいいちだん))

  動物(どうぶつ)の例(れい)を持(も)ち出(だ)したのは、原始的(げんしてき)人間(にんげん)と動物(どうぶつ)の間(あいだ)に大(おお)きな違(ちが)いがないことを示(しめ)すためであるが、同時(どうじ)に、言語(げんご)以前(いぜん)の原始的(げんしてき)人間(にんげん)の振舞(ふるま)いを直接(ちょくせつ)観察(かんさつ)することはできないが、動物(どうぶつ)は現代(げんだい)でも観察(かんさつ)ができるし、人間(にんげん)に比(くら)べて動作(どうさ)パターンが少(すく)なく、かつ固定的(こていてき)なので、知能的(ちのうてき)な行為(こうい)の観察(かんさつ)がしやすいからでもある。動物(どうぶつ)の行動(こうどう)目的(もくてき)の大部分(だいぶぶん)は餌(えさ)を獲(え)ることと子孫(しそん)を残(のこ)すために異性(いせい)と交配(こうはい)することであり、この目的(もくてき)を達成(たっせい)するために、多(おお)くの動物(どうぶつ)が、走(はし)る、跳(と)ぶ、伏(ふ)せる、飛(と)ぶ、といった生物的(せいぶつてき)機能(きのう)として自然(しぜん)に備(そな)わった単純(たんじゅん)な行為(こうい)を組(く)み合(あ)わせて複合的(ふくごうてき)な行動(こうどう)を行(おこな)っている。でたらめに基本的(きほんてき)な機能(きのう)を組(く)み合(あ)わせたのでは目的(もくてき)を達(たっ)するような動(うご)きができるわけではないから、事前(じぜん)に行動(こうどう)の計画(けいかく)を立(た)てているに違(ちが)いない。これが行為(こうい)の知能性(ちのうせい)である。(第二段(だいにだん))

  しかし動物(どうぶつ)の行為(こうい)を「考(かんが)える行為(こうい)」と言(い)い切(き)ってしまうには、どこか違和感(いわかん)のあることも確(たし)かである。動物(どうぶつ)では目的(もくてき)が限定的(げんていてき)で、方法(ほうほう)が固定(こてい)されている。したがって、行動(こうどう)パターンも種(しゅ)ごとにほぼ固定(こてい)されている。動作(どうさ)が複雑(ふくざつ)で、知能的(ちのうてき)に見(み)えていても、それは個々(ここ)の個体(こたい)が考(かんが)えてつくり上(あ)げるものではなく、種(しゅ)としての経験(けいけん)から、何代(なんだい)にもわたってつくり上(あ)げられたものを踏襲(とうしゅう)しているに過(す)ぎない。したがって動物(どうぶつ)の行動(こうどう)パターンは親(おや)の代(だい)、さらには遠(とお)くさかのぼって先祖(せんぞ)の代(だい)のものから大(おお)きく変(か)わっていない。これに対(たい)し人間(にんげん)の場合(ばあい)は目的(もくてき)が多様(たよう)であり、個人(こじん)がそれぞれ自分(じぶん)の目的(もくてき)を持(も)つ。そのための目的(もくてき)達成(たっせい)の方法(ほうほう)を個人(こじん)が状況(じょうきょう)に応(おう)じて動的(どうてき)に見(み)いださなければならない。この「目的(もくてき)とその達成(たっせい)の方法(ほうほう)を動的(どうてき)に見(み)いだす」ことこそが考(かんが)えることの本質(ほんしつ)と解釈(かいしゃく)すると、「考(かんが)える」のはあくまで人間(にんげん)のみであることになる。動物(どうぶつ)における一見(いっけん)知的(ちてき)な行為(こうい)は、その動物(どうぶつ)が個体(こたい)として「考(かんが)える」のではなく、種(しゅ)として先祖(せんぞ)から受(う)け継(つ)いだものであり、通常(つうじょう)、「本能的(ほんのうてき)」、と表現(ひょうげん)される。(第三段(だいさんだん))

  動的(どうてき)に考(かんが)えるかどうかは、概念(がいねん)の表現(ひょうげん)と記憶(きおく)の方式(ほうしき)に関連(かんれん)する。すなわちこの差(さ)は、現代(げんだい)の人間(にんげん)は概念(がいねん)の表現(ひょうげん)と記憶(きおく)を言語(げんご)というソフトウェアで行(おこな)うのに対(たい)し、動物(どうぶつ)は生理的(せいりてき)構造(こうぞう)というハードウェアでそれを行(おこな)っている、という機構的(きこうてき)な違(ちが)いによる。「既存(きそん)概念(がいねん)による考(かんが)え方(かた)」の原点(げんてん)が生理的(せいりてき)構造(こうぞう)にあり、言葉(ことば)はその生理的(せいりてき)構造(こうぞう)のコピーと考(かんが)えると、そして多(おお)くの人間(にんげん)が「既存(きそん)概念(がいねん)による考(かんが)え方(かた)」によっている事実(じじつ)を考(かんが)えるなら、人間(にんげん)の「考(かんが)え方(かた)」の基本(きほん)部分(ぶぶん)の本質(ほんしつ)は動物(どうぶつ)の「本能的(ほんのうてき)な行為(こうい)」と実質的(じっしつてき)に大(おお)きな差(さ)がないように見(み)える。(第四段(だいよんだん))

6

(2)これに対(たい)し「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」のほうは動物的(どうぶつてき)な「本能的(ほんのうてき)な行為(こうい)」とは異質(いしつ)である。新(あたら)しく発想(はっそう)するという「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」は、この点(てん)で、多(おお)くの人(ひと)がそれで満足(まんぞく)してしまっている「既存(きそん)概念(がいねん)による考(かんが)え方(かた)」とは一線(いっせん)を画(かく)している。「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」こそが、人間(にんげん)でなければできないものである。社会的(しゃかいてき)にも大(おお)きな変革(へんかく)が期待(きたい)されるのはこの「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」である。人(ひと)には、目(め)に見(み)えていないことをイメージする能力(のうりょく)があるのに、チンパンジーではそれができないと報告(ほうこく)されているが、この違(ちが)いが「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」にとって本質的(ほんしつてき)なものであるか、あるいはこれも、概念(がいねん)の表現(ひょうげん)と記憶(きおく)を言語(げんご)というソフトウェアで行(おこな)っているためであるかどうかは、今(いま)のところはっきりしていない。しかし「考(かんが)え方(かた)」も、神(かみ)によって与(あた)えられたもの、であるよりは、「考(かんが)え方(かた)」の知的(ちてき)進化(しんか)の必然的(ひつぜんてき)結果(けっか)である、とするのがより科学的(かがくてき)な立場(たちば)である。人間(にんげん)の場合(ばあい)、言語(げんご)の発達(はったつ)によって、「考(かんが)え方(かた)」も進化(しんか)した結果(けっか)、表面的(ひょうめんてき)には動物(どうぶつ)との違(ちが)いが大(おお)きくなり、*デカルト的(てき)な見方(みかた)が表(あらわ)れたと解釈(かいしゃく)できる。以下(いか)ではこのことを明(あき)らかにしていきたい。(第五段(だいごだん))

  何(なに)につけ、議論(ぎろん)しようとしたら、まずその議論(ぎろん)の対象(たいしょう)はどのようなものかを定義(ていぎ)しておかなければならない。「考(かんが)える」ことについても同様(どうよう)である。(第六段(だいろくだん))

  「考(かんが)える」にもさまざまなものがある。何(なに)かのきっかけでふと思(おも)い出(だ)した過去(かこ)の一場面(いちばめん)、まだ若(わか)かった両親(りょうしん)に連(つ)れられて行(い)った遊園地(ゆうえんち)の情景(じょうけい)、それから連鎖的(れんさてき)に次々(つぎつぎ)と心(こころ)に浮(う)かんでくる追憶(ついおく)の場面(ばめん)も「考(かんが)える」ことの一種(いっしゅ)である。しかし、このような誰(だれ)にとっても楽(たの)しく、何(なん)ら技巧(ぎこう)を必要(ひつよう)としないし、目的(もくてき)もない「考(かんが)える」は、自然(しぜん)のままに任(まか)せるのがよいだろう。以下(いか)で取(と)り上(あ)げるのは、「考(かんが)え方(かた)」という一種(いっしゅ)の技術(ぎじゅつ)あるいは方法(ほうほう)を要(よう)するもの、である。これを、「目的(もくてき)達成(たっせい)の方法(ほうほう)を動的(どうてき)に見(み)いだす」ことであるとした。ただし、これは目的(もくてき)が与(あた)えられているときにその実現(じつげん)方法(ほうほう)を考(かんが)えるという、「考(かんが)える」ことの一(ひと)つの例(れい)である。一般(いっぱん)にはこの形(かたち)の「考(かんが)える」行為(こうい)が多(おお)いが、ときには、「何(なに)をすべきか」、という目的(もくてき)そのものについて考(かんが)えることもある。学生(がくせい)が将来(しょうらい)の進路(しんろ)を考(かんが)える、政治家(せいじか)が国(くに)の繁栄(はんえい)のために何(なに)を為(な)すべきかを考(かんが)える、など、このような例(れい)も多(おお)い。(第七段(だいななだん))

  これらは、たとえ漠然(ばくぜん)としたものではあっても何(なに)か目的(もくてき)意識(いしき)のもとでの「考(かんが)え方(かた)」であるが、人間(にんげん)として、あるいは社会人(しゃかいじん)としてどのように考(かんが)え、どのように生(い)きるべきであるか、といった、さらに抽象的(ちゅうしょうてき)で高度(こうど)な「考(かんが)え方(かた)」もある。後者(こうしゃ)は「「考(かんが)え方(かた)」についての「考(かんが)え方(かた)」」といった意味合(いみあ)いのものを含(ふく)み、知的(ちてき)機能(きのう)のレベルで言(い)えば、具体的(ぐたいてき)な目的(もくてき)を持(も)つ行為(こうい)、言(い)い方(かた)を変(か)えれば即物的(そくぶつてき)な「考(かんが)え方(かた)」より上位(じょうい)のものである。突然(とつぜん)、「知的(ちてき)機能(きのう)のレベル」などと言(い)ってしまったが、目下(もっか)の議論(ぎろん)には直接(ちょくせつ)関(かか)わりがないので、具体的(ぐたいてき)な目的(もくてき)意識(いしき)のもとでの「考(かんが)え方(かた)」について考(かんが)える。(第八段(だいはちだん))

  目的(もくてき)は、例(たと)えば「行動(こうどう)計画(けいかく)を立(た)てる」や「(新製品(しんせいひん)開発(かいはつ)において)高性能(こうせいのう)を達成(たっせい)する」、「新(あたら)しいビジネスモデルをつくる」などさまざまであり、「考(かんが)える」対象(たいしょう)や状況(じょうきょう)の違(ちが)いによって「考(かんが)える」内容(ないよう)は異(こと)なるけれど、どの場合(ばあい)でも共通(きょうつう)しているのは、「考(かんが)える」行為(こうい)には必(かなら)ず何(なん)らかの動機(どうき)と目的(もくてき)や方法(ほうほう)などその前提(ぜんてい)条件(じょうけん)があることである。これは「考(かんが)える」ことの一般的(いっぱんてき)な条件(じょうけん)であり、「既存(きそん)概念(がいねん)による考(かんが)え方(かた)」でも「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」にも共通(きょうつう)である。以下(いか)「考(かんが)え方(かた)」についての議論(ぎろん)では、目的(もくてき)が明確(めいかく)に意識(いしき)されていることを前提(ぜんてい)とする。明確(めいかく)に、とは明文化(めいぶんか)されるほどに、という意味(いみ)である。以下(いか)ではこれを「考(かんが)える目的(もくてき)」のように表(あらわ)す。(第九段(だいきゅうだん))

7

  すでに触(ふ)れたように、現実(げんじつ)には多(おお)くの人(ひと)は無意識(むいしき)に「考(かんが)える」という行為(こうい)を行(おこな)っている。「考(かんが)えを変(か)えろ」と言(い)われても、どのようにしたらよいかわからないのもそのためと言(い)える。しかしそれでも人(ひと)はでたらめに頭(あたま)を働(はたら)かせているわけではない。一定(いってい)の手順(てじゅん)を踏(ふ)んで考(かんが)えていることは確(たし)かである。この「考(かんが)える」という行為(こうい)を明示(めいじ)することによって、異(こと)なる「考(かんが)え方(かた)」と比較(ひかく)したり、(もしできるなら)理想的(りそうてき)な「考(かんが)え方(かた)」を表現(ひょうげん)すること、また理想的(りそうてき)な「考(かんが)え方(かた)」に比(くら)べて実際(じっさい)に人(ひと)が行(おこな)っているのはその一部(いちぶ)であること、そして足(た)りない部分(ぶぶん)は何(なに)かをはっきりさせることができる。それにはまず、動機(どうき)となっている「考(かんが)える」目的(もくてき)を達成(たっせい)するように行(おこな)われる行為(こうい)のモデルをつくり、その構造(こうぞう)を表現(ひょうげん)する。現実(げんじつ)には、多(おお)くの場合(ばあい)、人(ひと)は無意識(むいしき)に考(かんが)えている。仮(かり)に意識(いしき)していたとしても「考(かんが)える」目的(もくてき)や、考(かんが)える途中(とちゅう)で得(え)た概念(がいねん)をそのつど言葉(ことば)に出(だ)すことはしない。(3)しかしそれを明示(めいじ)することによって、気付(きづ)かなかった誤(あやま)りや考(かんが)え落(お)ちを見(み)いだし、「考(かんが)える」ことを変(か)える根拠(こんきょ)が見(み)えてくる。また明示(めいじ)することによって「考(かんが)える」ことのモデルがコンピュータ化(か)される。人工(じんこう)知能(ちのう)という研究(けんきゅう)分野(ぶんや)がこのようにして発展(はってん)してきた。(第十段(だいじゅうだん))

  しかし「考(かんが)える」ことのすべてを明示(めいじ)できるわけではない。大(おお)ざっぱな言(い)い方(かた)になるが、「既存(きそん)概念(がいねん)による考(かんが)え方(かた)」は明文化(めいぶんか)のできる部分(ぶぶん)、したがってコンピュータ化(か)ができる部分(ぶぶん)が多(おお)く、「脱(だつ)既存(きそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」は明文化(めいぶんか)ができない部分(ぶぶん)、したがってコンピュータ化(か)ができない部分(ぶぶん)を含(ふく)んでいる、と言(い)うこともできる。(第十一段(だいじゅういちだん))

(大須賀(おおすが)節雄(せつお)「思考(しこう)を科学(かがく)する」による)

 

〔注(ちゅう)〕

デカルト的(てき)な見方(みかた) ―― デカルトは西洋(せいよう)の哲学者(てつがくしゃ)であり、デカルト的(てき)な見方(みかた)とは、ここでは理性(りせい)のある人間(にんげん)と他(ほか)の動物(どうぶつ)を区別(くべつ)する見方(みかた)である。

 

〔問(とい)1〕  (1)人間(にんげん)や動物(どうぶつ)という先入観(せんにゅうかん)を離(はな)れて、純粋(じゅんすい)に行為(こうい)の知能性(ちのうせい)という点(てん)で見(み)れば、知能(ちのう)の違(ちが)いは計画的(けいかくてき)な行動(こうどう)の複雑(ふくざつ)さの違(ちが)いに現(あらわ)れるものであって、人間(にんげん)と動物(どうぶつ)の間(あいだ)で本質(ほんしつ)の部分(ぶぶん)に大(おお)きな差(さ)はないと言(い)える。とあるが、筆者(ひっしゃ)がこのように述(の)べたのはなぜか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 多(おお)くの動物(どうぶつ)は複雑(ふくざつ)に統制(とうせい)された行動(こうどう)をしており、人間(にんげん)が社会(しゃかい)の中(なか)で規律(きりつ)正(ただ)しく行動(こうどう)することと同(おな)じ程度(ていど)の社会性(しゃかいせい)があると考(かんが)えているから。
イ 動物(どうぶつ)の行動(こうどう)には定(さだ)められた目的(もくてき)達成(たっせい)の方法(ほうほう)があり、状況(じょうきょう)に応(おう)じて最適(さいてき)な方法(ほうほう)で目的(もくてき)を達成(たっせい)する人間(にんげん)と質的(しつてき)な差(さ)はないと考(かんが)えているから。
ウ 多(おお)くの動物(どうぶつ)の複雑(ふくざつ)な振舞(ふるま)いは目的(もくてき)達成(たっせい)に向(む)けた適切(てきせつ)な行動(こうどう)であり、人間(にんげん)の本能的(ほんのうてき)な段階(だんかい)の行動(こうどう)と根本的(こんぽんてき)な違(ちが)いはないと考(かんが)えているから。
エ 動物(どうぶつ)は状況(じょうきょう)の変化(へんか)に応(おう)じて行動(こうどう)の目的(もくてき)を設定(せってい)しており、人間(にんげん)の子供(こども)と比較(ひかく)しても環境(かんきょう)に適応(てきおう)する能力(のうりょく)に大(おお)きな差(さ)はないと考(かんが)えているから。

 

〔問(とい)2〕  (2)これに対(たい)し「脱既存(だつきそん)概念(がいねん)の考(かんが)え方(かた)」のほうは動物的(どうぶつてき)な「本能的(ほんのうてき)な行為(こうい)」とは異質(いしつ)である。とはどういうことか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 概念(がいねん)の表現(ひょうげん)と記憶(きおく)の方式(ほうしき)は人間(にんげん)も動物(どうぶつ)も同様(どうよう)の構造(こうぞう)をしているが、新(あたら)しい発想(はっそう)を生(う)み出(だ)す革新的(かくしんてき)な知性(ちせい)は人間(にんげん)しかもっていないということ。
イ 言葉(ことば)に依存(いぞん)する人間(にんげん)の思考(しこう)と身体(しんたい)構造(こうぞう)に制限(せいげん)される動物(どうぶつ)の行動(こうどう)はどちらも本能的(ほんのうてき)だが、経験(けいけん)に基(もと)づく人間(にんげん)の行動(こうどう)は異質(いしつ)であるということ。
ウ 先祖(せんぞ)代々(だいだい)変(か)わらない種(しゅ)の性質(せいしつ)を踏襲(とうしゅう)する点(てん)は人間(にんげん)も動物(どうぶつ)も類似(るいじ)しているが、目的(もくてき)と行為(こうい)が固定(こてい)されているのは人間(にんげん)だけであるということ。
エ 人間(にんげん)も動物(どうぶつ)も代々(だいだい)受(う)け継(つ)ぐ行為(こうい)の形式(けいしき)があることはあまり違(ちが)わないが、創造的(そうぞうてき)な思考(しこう)は種(しゅ)として受(う)け継(つ)ぐ行為(こうい)とは質的(しつてき)に異(こと)なるということ。

8

〔問(とい)3〕  この文章(ぶんしょう)の構成(こうせい)における第九段(だいきゅうだん)の役割(やくわり)を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 第八段(だいはちだん)で規定(きてい)された「考(かんが)え方(かた)」を受(う)けて、「考(かんが)える」行為(こうい)の目的(もくてき)とは何(なに)かを示(しめ)し、筆者(ひっしゃ)の主張(しゅちょう)の前提(ぜんてい)を明(あき)らかにしている。
イ 第八段(だいはちだん)で整理(せいり)された「考(かんが)え方(かた)」を受(う)けて、「考(かんが)える」ことに関(かん)する新(あら)たな視点(してん)と反対(はんたい)の内容(ないよう)を提示(ていじ)することで話題(わだい)の転換(てんかん)を図(はか)っている。
ウ 第八段(だいはちだん)で挙(あ)げた「考(かんが)え方(かた)」の具体的(ぐたいてき)事例(じれい)を踏(ふ)まえ、「考(かんが)える」内容(ないよう)を要約(ようやく)し、筆者(ひっしゃ)の論(ろん)の展開(てんかい)を分(わ)かりやすくしている。
エ 第八段(だいはちだん)で解説(かいせつ)した「考(かんが)え方(かた)」の種類(しゅるい)を踏(ふ)まえ、「考(かんが)える」対象(たいしょう)や状況(じょうきょう)を挙(あ)げて、一(ひと)つ一(ひと)つを説明(せつめい)し結論(けつろん)に導(みちび)いている。

 

〔問(とい)4〕  (3)しかしそれを明示(めいじ)することによって、気付(きづ)かなかった誤(あやま)りや考(かんが)え落(お)ちを見(み)いだし、「考(かんが)える」ことを変(か)える根拠(こんきょ)が見(み)えてくる。とはどういうことか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 一定(いってい)の手順(てじゅん)を踏(ふ)んで「考(かんが)える」過程(かてい)を可視化(かしか)することで、自分(じぶん)の考(かんが)えを再認識(さいにんしき)し、目的(もくてき)につながる動機(どうき)が見(み)いだされるということ。
イ 「考(かんが)える」目的(もくてき)や過程(かてい)で得(え)た概念(がいねん)を言語化(げんごか)することで、論理(ろんり)の不備(ふび)や不足(ふそく)を明(あき)らかにし、思考(しこう)を見直(みなお)す手掛(てが)かりが見(み)えてくるということ。
ウ 「考(かんが)える」途中(とちゅう)の要素(ようそ)から得(え)た概念(がいねん)を明文化(めいぶんか)することで、思考(しこう)が明確(めいかく)に整理(せいり)されるため、無意識(むいしき)に考(かんが)える必要(ひつよう)がなくなるということ。
エ 人間(にんげん)の脳内(のうない)で行(おこな)われる「考(かんが)える」手順(てじゅん)を電子化(でんしか)することで、異(こと)なる考(かんが)えを検索(けんさく)し、理想的(りそうてき)な考(かんが)えを永続的(えいぞくてき)に保存(ほぞん)できるということ。

 

〔問(とい)5〕  国語(こくご)の授業(じゅぎょう)でこの文章(ぶんしょう)を読(よ)んだ後(あと)、「コンピュータ化(か)できない人間(にんげん)の考(かんが)え方(かた)」というテーマで自分(じぶん)の意見(いけん)を発表(はっぴょう)することになった。このときにあなたが話(はな)す言葉(ことば)を具体的(ぐたいてき)な体験(たいけん)や見聞(けんぶん)も含(ふく)めて二百字(にひゃくじ)以内(いない)で書(か)け。なお、書(か)き出(だ)しや改行(かいぎょう)の際(さい)の空欄(くうらん)、 〝 、〟や〝 。〟や〝「 〟などもそれぞれ字数(じすう)に数(かぞ)えよ。

 

 5 

  次(つぎ)のページのAは、平安(へいあん)時代(じだい)末期(まっき)の歌人(かじん)西行(さいぎょう)の歌集(かしゅう)「山家集(さんかしゅう)」の和歌(わか)とその前(まえ)に付(ふ)され和歌(わか)を補足(ほそく)する詞書(ことばがき)の原文(げんぶん)であり、   内(ない)の文章(ぶんしょう)はその現代語訳(げんだいごやく)である。B及(およ)びCは西行(さいぎょう)と平安(へいあん)時代(じだい)初期(しょき)の歌人(かじん)在原(ありわらの)業平(なりひら)の詞書(ことばがき)に関(かん)する対談(たいだん)と解説文(かいせつぶん)である。これらの文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。(*印(じるし)の付(つ)いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)のあとに〔注(ちゅう)〕がある。)

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A

  一院(いちのゐん)かくれさせおはしまして、やがての御所(ごしょ)へわたりまゐらせける夜(よる)、高野(かうや)より出(い)であひて、まゐりあひたりける、いと悲(かな)しかりけり。こののちおはしますべき所(ところ)御覧(ごらん)じはじめけるそのかみの御供(おんとも)に、左大臣(さだいじん)実能(さねよし)、大納言(だいなごん)と申(もう)しける、候(さぶら)はれけり。忍(しの)ばせおはしますことにて、又(また)人(ひと)さぶらはざりけり。その御供(おんとも)にさぶらひける事(こと)の思(おも)ひ出(い)でられて、折(をり)しも今宵(こよひ)にまゐりあひたる、昔(むかし)今(いま)のこと思(おも)ひつづけられて詠(よ)みける

    今宵(こよい)こそおもひ知(し)らるれあさからぬ

    君(きみ)に契(ちぎ)りのある身(み)なりけり

一院(いちのいん)(鳥羽(とば)法皇(ほうおう))が鳥羽(とば)離宮(りきゅう)(鳥羽(とば)安楽(あんらく)寿院(じゅいん)御所(ごしょ))にお亡(な)くなりになって、これからずっとお鎮(しず)まりになる御塔(ごとう)にお渡(わた)りになった夜(よる)、高野(こうや)を降(くだ)っていた自分(じぶん)はその御葬送(ごそうそう)に侍(はべ)ることができたが、たいへん悲(かな)しいことであった。そもそも永(なが)くお住(す)まいになるところとして鳥羽(とば)離宮(りきゅう)を初(はじ)めて検分(けんぶん)遊(あそ)ばされたのは保延(ほうえん)の初(はじ)め、あの時(とき)のお供(とも)には左大臣(さだいじん)徳大寺(とくだいじ)実能(さねよし)が、まだ大納言(だいなごん)の御身分(ごみぶん)で加(くわ)わっておられたが、おしのびの御幸(みゆき)のこととて、他(ほか)の者(もの)はお供(とも)申(もう)し上(あ)げなかった。その時(とき)、自分(じぶん)は北面(ほくめんの)武士(ぶし)としてお供(とも)に加(くわ)わっていたが、その時(とき)のことなど自然(しぜん)に思(おも)い出(だ)されて来(き)て、今宵(こよい)は今宵(こよい)で御葬送(ごそうそう)に侍(はべ)ることのできた御縁(ごえん)の深(ふか)さなどに思(おも)いを致(いた)し、昔(むかし)のこと、今(いま)のこと、あれこれ思(おも)いは千々(ちぢ)に乱(みだ)れ、悲(かな)しみに濡(ぬ)れて、次(つぎ)のような一首(いっしゅ)を詠(えい)じた。

     自分(じぶん)という人間(にんげん)はなんという迂濶(うかつ)さだろう。鳥羽(とば)法皇(ほうおう)御葬儀(ごそうぎ)の今宵(こよい)になって初(はじ)めて、自分(じぶん)が院(いん)と並(な)みひと通(とお)りでない(1)御(ご)縁(えん)にあったことを、今更(いまさら)のように深(ふか)く思(おも)い知(し)り、思(おも)い知(し)らされたことであった。

 

(井上(いのうえ)靖(やすし)「西行(さいぎょう)・山家集(さんかしゅう)」による)

 

B

目崎(めざき) これほど長(なが)い詞書(ことばがき)がふんだんにくっついている歌集(かしゅう)は、そう多(おお)くないと思(おも)うんです。鳥羽(とば)法皇(ほうおう)が亡(な)くなったときの歌(うた)などは、「一院(いちのいん)かくれさせおはしまして、やがての御所(ごしょ)へわたりまゐらせける夜(よる)、高野(こうや)よりいであひてまゐりあひたりける、いとかなしかりけり」云々(うんぬん)。ずいぶん長(なが)い詞書(ことばがき)を書(か)いて、

    こよひこそおもひしらるれあさからぬ

    君(きみ)にちぎりのある身(み)なりけり

  実(じつ)に単純(たんじゅん)といいますか平易(へいい)といいますか曲(くせ)がないといいますか、ひとりごとを漏(も)らしたみたいな、技巧(ぎこう)も何(なに)も入(はい)っていない歌(うた)ですね。白川(しらかわ)の関(せき)で*能因(のういん)を回顧(かいこ)した、

    *しらかはのせきやを月(つき)のもるかげは

    人(ひと)の心(こころ)をとむるなりけり

も、非常(ひじょう)に詞書(ことばがき)が長(なが)いのですけれど、歌(うた)そのものはどうってことはない。
白洲(しらす) でも、業平(なりひら)も詞書(ことばがき)が多(おお)いでしょう。やはり古今(こきん)の序(じょ)で貫之(つらゆき)が言(い)ったように、心(こころ)あまりて詞(ことば)足(た)らずで、その足(た)らない部分(ぶぶん)を詞書(ことばがき)で補(おぎな)ったようなところがある。
目崎(めざき) ええ。そういう点(てん)でも共通(きょうつう)したところがあるんです。あれもそういう点(てん)が大事(だいじ)だと思(おも)うから、貫之(つらゆき)は『古今集(こきんしゅう)』のなかに業平(なりひら)の歌(うた)に限(かぎ)って詞書(ことばがき)を長(なが)いまま入(い)れてある。西行(さいぎょう)の歌(うた)も、どうもそういう詞書(ことばがき)と組(く)み合(あ)わせて特徴(とくちょう)が浮(う)かび上(あ)がってくるような。
白洲(しらす) それで、自分(じぶん)のなかに長(なが)い歴史(れきし)があるというようなことを思(おも)ってほしい、読(よ)む人(ひと)にね。
目崎(めざき) (2)そういう点(てん)では西行(さいぎょう)という人(ひと)はたいへんな散文(さんぶん)の達者(たっしゃ)だったと思(おも)いますね。
白洲(しらす) はい。(3)それで、いいんですね、この詞書(ことばがき)が。だから、西行(さいぎょう)物語(ものがたり)なんかができちゃうんでしょうけれども。

10

目崎(めざき) 瀬戸(せと)内海(ないかい)を渡(わた)って四国(しこく)へ行(い)くときの歌(うた)、旅程(りょてい)をつぶさに詞書(ことばがき)で述(の)べては、歌(うた)っておりますね。『山家集(さんかしゅう)』のなかでも突然(とつぜん)、あの部分(ぶぶん)が出(で)てくるんですけれど、考(かんが)えてみると、あれがもうちょっとまとまって書(か)かれたか、あるいはもっと残(のこ)っていたら、いわゆる紀行文(きこうぶん)のはしりではないか。『土佐(とさ)日記(にっき)』は別(べつ)としまして、『海道記(かいどうき)』『東関(とうかん)紀行(きこう)』などのもう一(ひと)つ前(まえ)の、たいへんすぐれた紀行(きこう)の作品(さくひん)になったと思(おも)うのです。西行(さいぎょう)はひとつの旅行(りょこう)記(き)としてまとめるつもりはなかったんで、歌(うた)の詞書(ことばがき)として書(か)き留(と)めるだけにとどまったようですから、惜(お)しいことだと思(おも)うのですが。しかし、日本(にほん)の紀行(きこう)には地(じ)の文章(ぶんしょう)を書(か)いては歌(うた)を一首(いっしゅ)入(い)れ、それからさらに進(すす)んでいくというパターンができていますね。西行(さいぎょう)は十分(じゅうぶん)、その先駆者(せんくしゃ)と見(み)られるものだろうと思(おも)うのです。白川(しらかわ)の関(せき)、信夫(しのぶ)の里(さと)から、平泉(ひらいずみ)までの部分(ぶぶん)も。
白洲(しらす) (4)一(ひと)つの独立(どくりつ)した旅行(りょこう)記(き)みたい。
目崎(めざき) 平泉(ひらいずみ)の、

    *とりわきて心(こころ)もしみて冴(さ)えぞわたる

      衣河(ころもがは)見(み)にきたるけふしも

の歌(うた)の詞書(ことばがき)、「十月(じゅうがつ)十二日(じゅうににち)平泉(ひらいずみ)に*まかりつきたりけるに、雪(ゆき)ふり、あらしはげしく、ことのほか」云々(うんぬん)。
白洲(しらす) あれはいい歌(うた)ですね、実(じつ)にいい歌(うた)ですね。
目崎(めざき) これなどは本当(ほんとう)に詞書(ことばがき)と歌(うた)とがえもいわれず溶(と)け合(あ)いまして、ハーモニーができていますね。

(白洲(しらす)正子(まさこ)、目崎(めざき)徳衛(とくえ)「西行(さいぎょう)の漂泊(ひょうはく)と無常(むじょう)」による)

 

C

  「*西行(さいぎょう)上人(しょうにん)談抄(だんしょう)」には、西行(さいぎょう)の詞(ことば)として、「歌(うた)はうるはしく可詠(よむべき)也(なり)。古今集(こきんしゅう)の風体(ふうてい)を本(ほん)としてよむべし」といった後(あと)で、手本(てほん)とすべき歌(うた)をあげた中(なか)に、業平(なりひら)も入(はい)っている。それは極(ご)く常識的(じょうしきてき)な説(せつ)にすぎないが、都(みやこ)の内外(ないがい)を放浪(ほうろう)していた頃(ころ)、わざわざ*惟喬(これたか)親王(しんのう)の邸(やしき)跡(あと)を訪(たず)ねたことは注目(ちゅうもく)に値(あた)いする。

  その頃(ころ)、西行(さいぎょう)は修学院(しゅうがくいん)に籠(こも)っていたが、昔(むかし)、惟喬(これたか)親王(しんのう)が出家(しゅっけ)して、洛北(らくほく)大原(おおはら)の小野殿(おのでん)に隠棲(いんせい)していたところを見(み)に行(い)った。半(なか)ば崩(くず)れかかった釣殿(つりどの)や、池(いけ)に橋(はし)が渡(わた)してあるのを、「絵(え)にかきたるやうに」興味(きょうみ)深(ぶか)く眺(なが)めたが、滝(たき)が土(つち)に埋(う)もれて、そのまわりの木(き)が大(おお)きく育(そだ)ち、松(まつ)の音(おと)のみ聞(きこ)えるのが身(み)にしみた、と詞書(ことばがき)に記(しる)している。

 


滝(たき)落(お)ちし水(みず)の流(ながれ)も跡絶(あとた)えて

昔(むかし)語(かた)るは松(まつ)の風(かぜ)のみ

 


この里(さと)は人(ひと)すだきけん昔(むかし)もや

さびたることは変(かは)らざりけん

 

  「人(ひと)すだきけん」は、人(ひと)が群(むら)がっていたという意味(いみ)で、その頃(ころ)でも寂(さび)しい住居(じゅうきょ)であることに変(かわ)りはなかったであろう、と詠嘆(えいたん)したのである。

  だが、西行(さいぎょう)はただ惟喬(これたか)親王(しんのう)の遺跡(いせき)を見物(けんぶつ)に行(い)ったのではなかった。西行(さいぎょう)が物見(ものみ)に行(い)く時(とき)は、必(かなら)ずそこに人間(にんげん)の歴史(れきし)があり、名歌(めいか)が遺(のこ)されているからで、このことは、大覚寺(だいかくじ)や広沢(ひろさわ)の池(いけ)の場合(ばあい)をみてもわかることである。それは歌枕(うたまくら)とは関係(かんけい)がなく、まったく個人的(こじんてき)な興味(きょうみ)に出(で)たものであった。

  小野殿(おのでん)の跡(あと)は、大原(おおはら)を見下(みお)ろす高台(たかだい)にあり、今(いま)は畑(はたけ)になっているが、背後(はいご)の森(もり)アの蔭(かげ)には、惟喬(これたか)親王(しんのう)の墓(はか)と称(しょう)する五輪塔(ごりんとう)(おそらくは供養塔(くようとう))が、ただ一基(いっき)建(た)っているだけである。業平(なりひら)は、大雪(おおゆき)イの日(ひ)にここを訪(おとず)れ、忘(わす)れることウのできない絶唱(ぜっしょう)を遺(のこ)した。

11


忘(わす)れては夢(ゆめ)かとぞ思(おも)ふおもひきや

雪(ゆき)踏(ふ)みわけて君(きみ)を見(み)んとは

 

  これには長(なが)い詞書(ことばがき)がついており、惟喬(これたか)親王(しんのう)が*剃髪(ていはつ)して、ひとり寂(さび)しく暮(くら)していられるのを見(み)て、都(みやこ)へ帰(かえ)った後(あと)、贈(おく)った由(よし)が記(しる)してある。

  一首(いっしゅ)エの意味(いみ)は、親王(しんのう)が出家(しゅっけ)なさったことをふと忘(わす)れて、深(ふか)い雪(ゆき)を踏(ふ)みわけてお目(め)にかかってみると、夢(ゆめ)のような気(き)がいたします。——  大体(だいたい)そういう意味(いみ)のことであるが、「夢(ゆめ)かとぞ思(おも)ふおもひきや」と、二句目(にくめ)を字(じ)あまりとし、同(おな)じ詞(ことば)を重(かさ)ねて切羽(せっぱ)つまった気持(きもち)を表(あらわ)しており、そこからはしんしんと降(ふ)りつもる雪(ゆき)の音(おと)と、悲痛(ひつう)な叫(さけ)び声(ごえ)が聞(きこ)えて来(く)るようである。

  紀(きの)貫之(つらゆき)は、「古今序(こきんじょ)」の中(なか)で、「在原(ありわらの)業平(なりひら)は、その心(こころ)余(あま)りて、詞(ことば)たらず」と評(ひょう)した。「忘(わす)れては」の歌(うた)は比較的(ひかくてき)わかりやすいが、中(なか)には説明(せつめい)不可能(ふかのう)なものも少(すくな)くない。何(なに)といったらいいのか、感情(かんじょう)があふれて、詞(ことば)の流(ながれ)に身(み)をまかせてしまうようなところがあり、そういう歌(うた)ほど美(うつく)しいのだから矛盾(むじゅん)している。紀(きの)貫之(つらゆき)のような専門(せんもん)歌人(かじん)からみれば、三十一字(さんじゅういちじ)の形式(けいしき)の中(なか)で完結(かんけつ)しないような歌(うた)は、認(みと)めたくなかったのだろうが、業平(なりひら)の歌(うた)はそれなりに完結(かんけつ)しており、よけいな解説(かいせつ)を受(う)けつけないものがある。したがって、どのようにも解釈(かいしゃく)できるし、読(よ)む人(ひと)の心(こころ)次第(しだい)でどこまでも拡(ひろ)がって行(い)く。ほんとうの詩人(しじん)とはそうしたものだろう。だが、詞(ことば)が足(た)らないことも事実(じじつ)なのであって、そこで長(なが)い詞書(ことばがき)を必要(ひつよう)としたのである。

  詞書(ことばがき)が多(おお)いことでは、西行(さいぎょう)も人後(じんご)に落(お)ちない。現(げん)に小野殿(おのでん)をおとずれた時(とき)の二首(にしゅ)も、長(なが)い詞書(ことばがき)をともなっており、今(いま)まであげた歌(うた)のほとんどに、それを詠(よ)んだ時(とき)の状況(じょうきょう)や理由(りゆう)を補足(ほそく)する文(ぶん)がついている。西行(さいぎょう)もまた、「その心(こころ)余(あま)りて」、詞(ことば)が追(お)いつけなかったのだ。時(とき)にはあまり多(おお)くのことをつめこんで、歌(うた)の姿(すがた)を壊(こわ)すことなきにしも非(あら)ずであった。その大部分(だいぶぶん)は若(わか)い時(とき)の作(さく)だが、字余(じあま)りの句(く)が多(おお)いことも、西行(さいぎょう)の特徴(とくちょう)の一(ひと)つである。それについてはあまり深入(ふかい)りしたくはないが、字余(じあま)りの句(く)を研究(けんきゅう)していた本居(もとおり)宣長(のりなが)は、西行(さいぎょう)の歌(うた)はルールからはずれるので、聞(き)き苦(ぐる)しいといってとらなかったという。

  (5)そういう次第(しだい)で、業平(なりひら)も、西行(さいぎょう)も、詞書(ことばがき)の助(たす)けを必要(ひつよう)としたのであるが、詞書(ことばがき)自体(じたい)が美(うつく)しいことも忘(わす)れてはなるまい。その長(なが)い詞書(ことばがき)から、前者(ぜんしゃ)には「伊勢(いせ)物語(ものがたり)」が生(うま)れ、後者(こうしゃ)には「西行(さいぎょう)物語(ものがたり)」が作(つく)られて行(い)った。

(白洲(しらす)正子(まさこ)「西行(さいぎょう)」による)

 

〔注(ちゅう)〕

北面(ほくめんの)武士(ぶし)—— 院(いん)御所(ごしょ)の北方(ほっぽう)で、警護(けいご)に当(あ)たる武士(ぶし)のこと。

能因(のういん)——僧侶(そうりょ)、歌人(かじん)。

 

しらかはのせきやを月(つき)のもるかげは人(ひと)の心(こころ)をとむるなりけり——

白河(しらかわ)の関(せき)に来(き)て泊(と)まったが、関屋(せきや)を守(まも)る人(ひと)も居(お)らず、ただ月光(げっこう)が荒(あ)れた建物(たてもの)を漏(も)れているだけである。が、それに却(かえ)って、旅人(たびびと)である自分(じぶん)の心(こころ)は引(ひ)き留(と)められてしまう。

 

『海道記(かいどうき)』『東関(とうかん)紀行(きこう)』—— 中世(ちゅうせい)の紀行文(きこうぶん)。

 

とりわきて心(こころ)もしみて冴(さ)えぞわたる衣河(ころもがは)見(み)にきたるけふしも——

長(なが)く心(こころ)にかけていた衣川(ころもがわ)を見(み)に来(き)た今日(きょう)という日(ひ)は、とりわけ心(こころ)も冷(ひ)えわたり冴(さ)え返(かえ)っている。

 

まかりつきたりけるに—— 着(つ)いたが。
西行(さいぎょう)上人(しょうにん)談抄(だんしょう)—— 西行(さいぎょう)の弟子(でし)による西行(さいぎょう)の歌論書(かろんしょ)。

12

歌(うた)はうるはしく可詠(よむべき)也(なり)。古今集(こきんしゅう)の風体(ふうてい)を本(ほん)としてよむべし

  ——和歌(わか)は美(うつく)しく詠(よ)むべきである。そのため古今集(こきんしゅう)の和歌(わか)を手本(てほん)とするべきである。

 

惟喬(これたか)親王(しんのう)—— 在原(ありわらの)業平(なりひら)と親交(しんこう)があり、晩年(ばんねん)を小野殿(おのでん)で過(す)ごした。
剃髪(ていはつ)—— 出家(しゅっけ)のために髪(かみ)をそること。

 

〔問(とい)1〕  (1)御(ご)縁(えん)とあるが、Bに引用(いんよう)されている和歌(わか)において「御(ご)縁(えん)」に相当(そうとう)する部分(ぶぶん)はどこか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

    ア こよひこそ
    イ おもひしらるれ
    ウ あさからぬ
    エ ちぎり

 

〔問(とい)2〕  (2)そういう点(てん)では西行(さいぎょう)という人(ひと)はたいへんな散文(さんぶん)の達者(たっしゃ)だったと思(おも)いますね。という目崎(めざき)さんの発言(はつげん)が、この対談(たいだん)の中(なか)で果(は)たしている役割(やくわり)を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

  ア 西行(さいぎょう)の和歌(わか)と詞書(ことばがき)との関係(かんけい)について自分(じぶん)の見解(けんかい)を示(しめ)すことで、白洲(しらす)さんの考(かんが)え方(かた)との相違点(そういてん)を明(あき)らかにしようとしている。
  イ 白洲(しらす)さんの西行(さいぎょう)の詞書(ことばがき)に対(たい)する評価(ひょうか)を受(う)け、新(あら)たな視点(してん)で業平(なりひら)と西行(さいぎょう)の詞書(ことばがき)における関連性(かんれんせい)を整理(せいり)しようとしている。
  ウ それまでに語(かた)られた業平(なりひら)と西行(さいぎょう)の詞書(ことばがき)の特徴(とくちょう)を踏(ふ)まえ、西行(さいぎょう)の詞書(ことばがき)に話題(わだい)を焦点化(しょうてんか)して対談(たいだん)の内容(ないよう)を深(ふか)めている。
  エ 白洲(しらす)さんの読(よ)み手(て)を意識(いしき)した発言(はつげん)を受(う)け、西行(さいぎょう)と業平(なりひら)の和歌(わか)と詞書(ことばがき)の違(ちが)いについて自説(じせつ)を展開(てんかい)するきっかけとしている。

 

〔問(とい)3〕  Bでは(3)それで、いいんですね、この詞書(ことばがき)が。とあり、Cではそういう次第(しだい)で、業平(なりひら)も、西行(さいぎょう)も、詞書(ことばがき)の助(たす)けを必要(ひつよう)としたのであるが、詞書(ことばがき)自体(じたい)が美(うつく)しいことも忘(わす)れてはなるまい。とあるが、B及(およ)びCで述(の)べられた西行(さいぎょう)の詞書(ことばがき)の特徴(とくちょう)を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア あふれる感情(かんじょう)を歌(うた)だけでは表現(ひょうげん)しきれず、織(お)り込(こ)みきれなかった和歌(わか)の技巧(ぎこう)を全(すべ)て詞書(ことばがき)に挿入(そうにゅう)している。
イ 歌(うた)の背景(はいけい)を述(の)べた詞書(ことばがき)が、歌(うた)に詠(よ)まれた世界(せかい)を補(おぎな)いながらも文章(ぶんしょう)自体(じたい)が読者(どくしゃ)をひきつける魅力(みりょく)を備(そな)えている。
ウ 字数(じすう)の限(かぎ)られた和歌(わか)と散文(さんぶん)である詞書(ことばがき)を組(く)み合(あ)わせることで、物語(ものがたり)とすることが意識(いしき)されている。
エ 詞書(ことばがき)に用(もち)いる言葉(ことば)が精選(せいせん)されており、和歌(わか)同様(どうよう)に短(みじか)い文章(ぶんしょう)で幅(はば)広(ひろ)い表現(ひょうげん)がなされている。

 

〔問(とい)4〕  (4)一(ひと)つの独立(どくりつ)した旅行(りょこう)記(き)みたい。とあるが、ここでいう「独立(どくりつ)した旅行(りょこう)記(き)みたい」を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 『山家集(さんかしゅう)』には、旅(たび)の様子(ようす)が描(えが)かれた地(じ)の文章(ぶんしょう)に合(あ)わせて歌(うた)を詠(よ)むといった、伝統的(でんとうてき)な紀行文(きこうぶん)の形式(けいしき)で書(か)かれた部分(ぶぶん)があるということ。
イ 平泉(ひらいずみ)に強(つよ)い思(おも)い入(い)れがあった西行(さいぎょう)は、そこで優(すぐ)れた和歌(わか)を数(かず)多(おお)く詠(よ)み、その和歌(わか)が『山家集(さんかしゅう)』にとりわけ多(おお)く残(のこ)されているということ。
ウ 西行(さいぎょう)は、優(すぐ)れた文章(ぶんしょう)表現(ひょうげん)で旅(たび)の記録(きろく)を多(おお)く残(のこ)しており、その中(なか)には和歌(わか)のない旅行記(りょこうき)の形式(けいしき)で書(か)かれたものも含(ふく)まれているということ。
エ 西行(さいぎょう)は、旅(たび)する歌人(かじん)の一人(ひとり)として多(おお)くの歌(うた)を詠(よ)んでおり、旅行記(りょこうき)の第一人者(だいいちにんしゃ)としてその後(ご)の紀行文(きこうぶん)の定型(ていけい)を整(ととの)えようとしたということ。

 

〔問(とい)5〕  Cのア〜エの「の」のうち、他(ほか)と意味(いみ)・用法(ようほう)の異(こと)なるものを一(ひと)つ選(えら)び、記号(きごう)で答(こた)えよ。