令(れい)和(わ)3年度(ねんど)  東京都(とうきょうと)  高校(こうこう)入試(にゅうし)問題(もんだい)  国語(こくご)

 

注意(ちゅうい)

1 問題(もんだい)は 1 から 5 までで、12ページにわたって印刷(いんさつ)してあります。
2 検査(けんさ)時間(じかん)は五〇(ごじっ)分(ぷん)で、終(お)わりは午前(ごぜん)九時(くじ)五〇(ごじっ)分(ぷん)です。
3 声(こえ)を出(だ)して読(よ)んではいけません。
4 答(こた)えは全(すべ)て解答(かいとう)用紙(ようし)にHB又(また)はBの鉛筆(えんぴつ)(シャープペンシルも可(か))を使(つか)って明確(めいかく)に記入(きにゅう)し、解答(かいとう)用紙(ようし)だけを提出(ていしゅつ)しなさい。
5 答(こた)えは特別(とくべつ)の指示(しじ)のあるもののほかは、各問(かくとい)のア・イ・ウ・エのうちから、最(もっと)も適切(てきせつ)なものをそれぞれ一(ひと)つずつ選(えら)んで、その記号(きごう)のimage00001.jpgの中(なか)を正確(せいかく)に塗(ぬ)りつぶしなさい。
6 答(こた)えを記述(きじゅつ)する問題(もんだい)については、解答(かいとう)用紙(ようし)の決(き)められた欄(らん)からはみ出(だ)さないように書(か)きなさい。
7 答(こた)えを直(なお)すときは、きれいに消(け)してから、消(け)しくずを残(のこ)さないようにして、新(あたら)しい答(こた)えを書(か)きなさい。
8 受検(じゅけん)番号(ばんごう)を解答(かいとう)用紙(ようし)の決(き)められた欄(らん)に書(か)き、その数字(すうじ)のimage00002.jpgの中(なか)を正確(せいかく)に塗(ぬ)りつぶしなさい。
9 解答(かいとう)用紙(ようし)は、汚(よご)したり、折(お)り曲(ま)げたりしてはいけません。

 

1

 1 

次(つぎ)の各文(かくぶん)の     を付(つ)けた漢字(かんじ)の読(よ)みがなを書(か)け。

(1)  寒(さむ)い冬(ふゆ)の夜空(よぞら)に星(ほし)が輝く。

(2)  共通(きょうつう)の友人(ゆうじん)を介して知(し)り合(あ)う。

(3)  傾斜が急(きゅう)な山道(やまみち)をゆっくり上(のぼ)る。

(4)  紅葉(こうよう)で赤(あか)く染(そ)まる山並(やまなみ)を写真(しゃしん)に撮る。

(5)  真夏(まなつ)の乾いたアスファルトが急(きゅう)な雨(あめ)でぬれる。

 2 

次(つぎ)の各文(かくぶん)の     を付(つ)けたかたかなの部分(ぶぶん)に当(あ)たる漢字(かんじ)を楷書(かいしょ)で書(か)け。

(1)  私(わたし)の住(す)む町(まち)は起伏(きふく)にトんだ道(みち)が多(おお)い。

(2)  山頂(さんちょう)のさわやかな空気(くうき)を胸(むね)いっぱいにスう。

(3)  コンサート会場(かいじょう)でピアノのドクソウを聴(き)く。

(4)  バスのシャソウから見(み)える景色(けしき)が流(なが)れていく。

(5)  毎日(まいにち)欠(か)かさず掃除(そうじ)をし、部屋(へや)をセイケツに保(たも)つ。

 3 

  次(つぎ)の文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。(*印(しるし)の付(つ)いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)のあとに〔注(ちゅう)〕がある。)

     高校生(こうこうせい)の美緒(みお)は、母親(ははおや)との言(い)い争(あらそ)いをきっかけに、父方(ちちかた)の祖父(そふ)が営(いとな)む岩手(いわて)の染織(せんしょく)工房(こうぼう)で生活(せいかつ)し始(はじ)め織物(おりもの)制作(せいさく)を学(まな)んでいる。八月(はちがつ)上旬(じょうじゅん)、父親(ちちおや)の広志(ひろし)から電話(でんわ)があり、母親(ははおや)と共(とも)に岩手(いわて)に行(い)くのでひとまず一緒(いっしょ)に東京(とうきょう)に帰(かえ)らないかと言(い)われた。同(おな)じ頃(ころ)、ショール作(づく)りの練習(れんしゅう)として作(つく)り始(はじ)めたカーテンの色(いろ)を決(き)めかねていた美緒(みお)は、祖父(そふ)から「コレクションルーム」で気(き)に入(い)った色(いろ)を探(さが)すように言(い)われた。

 

  「おどる12人(にん)のおひめさま」と書(か)かれた背表紙(せびょうし)を見(み)つけ、美緒(みお)は本(ほん)を手(て)に取(と)る。

「これ、この絵本(えほん)。これはまったく同(おな)じのを持(も)ってた。」

  ページをめくると、森(もり)の風景(ふうけい)が目(め)の前(まえ)に広(ひろ)がった。

  十二人(じゅうににん)の姫君(ひめぎみ)が楽(たの)しそうに銀(ぎん)の森(もり)、金(きん)の森(もり)、ダイヤモンドの森(もり)を進(すす)んでいく。

「でも、あれ?  なんか印象(いんしょう)が違(ちが)う……。すごくきれい。昔(むかし)、読(よ)んだときは絵(え)が怖(こわ)くて、全然(ぜんぜん)好(す)きじゃなかったんだけど。」

  祖父(そふ)が隣(となり)の本棚(ほんだな)の前(まえ)に歩(ある)いていった。

「エロール・ル・カインが絵(え)をつけたその話(はなし)はグリム童話(どうわ)。ドイツ人(じん)の編纂(へんさん)だ。この話(はなし)と似(に)た伝承(でんしょう)をイギリス人(じん)が編纂(へんさん)したものがある。そちらはカイ・ニールセンという画家(がか)が挿絵(さしえ)を描(えが)いているんだが。」

  祖父(そふ)が本(ほん)を手(て)に取(と)り、戻(もど)ってきた。こちらのタイトルは漢字(かんじ)で「十二人(じゅうににん)の踊(おど)る姫君(ひめぎみ)」とある。

  あっ、と再(ふたた)び声(こえ)が出(で)た。

「それも持(も)ってたよ。お誕生日(たんじょうび)のプレゼントにもらったの。」

2

  ほお、と祖父(そふ)が感心(かんしん)したような声(こえ)を上(あ)げた。

「これはなかなか手(て)に入(はい)りづらい本(ほん)だ。ずいぶん探(さが)したんだろうな。」

  それを聞(き)いて、うしろめたくなった。

  この本(ほん)は四(よ)つの話(はなし)を集(あつ)めた童話集(どうわしゅう)だ。長(なが)い間(あいだ)本棚(ほんだな)に置(お)いていたが、中学生(ちゅうがくせい)になるとき、中学(ちゅうがく)入試(にゅうし)の問題集(もんだいしゅう)と一緒(いっしょ)に処分(しょぶん)しようとしたところを*祖母(そぼ)が見(み)つけ、横浜(よこはま)の家(いえ)に持(も)ち帰(かえ)っていった。

  この本(ほん)にもやはり森(もり)を抜(ぬ)けていく十二人(じゅうににん)の姫君(ひめぎみ)の絵(え)があった。繊細(せんさい)な線(せん)で描(えが)かれた絵(え)がとても神秘的(しんぴてき)だ。

「こんなきれいな本(ほん)だったっけ、これも。」

「日本(にほん)の絵本(えほん)もいいぞ。実(じつ)はこれは*ホームスパンではないかと、私(わたし)がひそかに思(おも)っている話(はなし)がある。」

  祖父(そふ)がもう一冊(いっさつ)、絵本(えほん)を差(さ)し出(だ)した。

宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)・作(さく)、黒井(くろい)健(けん)・絵(え)「水仙月(すいせんづき)の四日(よっか)」とある。

  本(ほん)の扉(とびら)を開(あ)けると、雪(ゆき)をかぶった山(やま)の風景(ふうけい)に目(め)を奪(うば)われた。この数ヶ月(すうかげつ)ですっかり見(み)覚(おぼ)えた山(やま)の形(かたち)だ。

「これ、もしかして、岩手山(いわてさん)?」

「宮沢(みやざわ)賢治(けんじ)は花巻(はなまき)と盛岡(もりおか)で生(い)きたお人(ひと)だからな。」

  さらにページをめくると、赤(あか)い毛布(もうふ)を頭(あたま)からかぶった子(こ)どもが一人(ひとり)、雪原(せつげん)を行(い)く姿(すがた)が描(えが)かれていた。

「この子(こ)がかぶっているの、*私(わたし)のショールみたい。」

  そうだろう?  と答(こた)え、祖父(そふ)は慈(いつく)しむように文章(ぶんしょう)を指(ゆび)でなぞった。

「ここに『赤(あか)い毛布(けっと)』と書(か)かれているが、私(わたし)はこの子(こ)は赤(あか)いホームスパンをかぶっていたのだと思(おも)う。雪童子(*ゆきわらす)の心(こころ)をとらえ、子(こ)どもの命(いのち)を守(まも)り抜(ぬ)いた赤(あか)い布(ぬの)は、田舎者(いなかもの)の代名詞(だいめいし)の赤毛布(あかけっと)より、この子(こ)の母親(ははおや)が家(いえ)で紡(つむ)いで作(つく)った毛織物(けおりもの)だと思(おも)ったほうがロマンがあるじゃないか。話(はなし)のついでだ。私(わたし)の自慢(じまん)もしていいだろうか。」

「うん、聞(き)かせて!」

  祖父(そふ)の手(て)がのび、軽(かる)く頭(あたま)に触(ふ)れた。すぐに手(て)は離(はな)れ、祖父(そふ)はさらに奥(おく)の本棚(ほんだな)へと歩(ある)いていった。一瞬(いっしゅん)だが、頭(あたま)をなでられたことに気付(きづ)き、きまりが悪(わる)いような、嬉(うれ)しいような思(おも)いで、祖父(そふ)の背中(せなか)を追(お)う。

(1)「ねえ、おじいちゃん。あの棚(たな)の本(ほん)、あとで私(わたし)の部屋(へや)に持(も)っていっていい?」

「一声(ひとこえ)かけてくれれば、なんでも持(も)っていっていいぞ。」

  一番(いちばん)奥(おく)の棚(たな)の前(まえ)で祖父(そふ)が足(あし)を止(と)めた。そこには分厚(ぶあつ)く横(よこ)にふくらんだノートが詰(つ)まっている。

  祖父(そふ)が一冊(いっさつ)を手(て)に取(と)った。左(ひだり)のページには折(お)り畳(たた)まれた絵(え)が一枚(いちまい)貼(は)ってある。さきほど見(み)た絵本(えほん)「水仙月(すいせんづき)の四日(よっか)」の一(いち)ページだ。

  右(みぎ)のページにはその絵(え)に使(つか)われている色(いろ)と、まったく同(おな)じ色(いろ)に染(そ)められた糸(いと)の見本(みほん)が貼(は)ってあった。次(つぎ)のページには、たくさんの化学(かがく)記号(きごう)と数値(すうち)が書(か)き込(こ)まれている。

「これって、絵(え)に使(つか)われた色(いろ)を全部(ぜんぶ)、糸(いと)に染(そ)めてあるの?」

「そうだよ。カイ・ニールセンやル・カインの絵本(えほん)の糸(いと)もある。」

  祖父(そふ)が別(べつ)のノートを広(ひろ)げると、さきほど見(み)た「十二人(じゅうににん)の踊(おど)る姫君(ひめぎみ)」の絵(え)が左(ひだり)ページに貼(は)られていた。「ダイヤモンドの森(もり)」の場面(ばめん)だ。

  このノートも、「水仙月(すいせんづき)の四日(よっか)」と同(おな)じく、絵(え)に使(つか)われている色(いろ)と同色(どうしょく)の糸(いと)が右(みぎ)に貼(は)られている。

「この糸(いと)で布(ぬの)を織(お)ったら、絵(え)が再現(さいげん)できるね。」

「織(お)りで絵(え)を表現(ひょうげん)するのは難(むずか)しいが、刺繍(ししゅう)という手(て)もあるな。」

3

「この糸(いと)で何(なに)つくったの?  見(み)せて!」

「何(なに)もつくっていない。狙(ねら)った色(いろ)がきちんと染(そ)められるかデータを取(と)っていたんだ。ここにあるノートは私(わたし)の父(ちち)の代(だい)からの染(そ)めの記録(きろく)だ。数値通(すうちどお)りにすれば、完璧(かんぺき)に染(そ)められるというわけでもないが、道(みち)しるべみたいなものだな。」

  下(した)の棚(たな)にある古(ふる)びたノートを取(と)り出(だ)すと、紙(かみ)は淡(あわ)い茶色(ちゃいろ)に変(か)わっていた。鉛筆(えんぴつ)でびっしりと書(か)かれている角張(かくば)った文字(もじ)は、祖父(そふ)とは違(ちが)う筆跡(ひっせき)だ。

「もしかして、これが、ひいおじいちゃんの字(じ)?」

  祖父(そふ)がうなずき、中段(ちゅうだん)の棚(たな)から一冊(いっさつ)を出(だ)した。

「このあたりの番号(ばんごう)のノートから私(わたし)も染(そ)めに参加(さんか)している。この時期(じき)は父(ちち)の助手(じょしゅ)だったが。」

  (2)ノートをのぞくと角張(かくば)った字(じ)と、流(なが)れるような書体(しょたい)の祖父(そふ)の筆跡(ひっせき)が混(ま)じっていた。

  曾祖父(そうそふ)の存在(そんざい)を強(つよ)く感(かん)じ、美緒(みお)はノートの字(じ)に触(ふ)れてみる。

  顔(かお)も姿(すがた)も想像(そうぞう)できないが、何十年(なんじゅうねん)も前(まえ)に、このノートに曾祖父(そうそふ)が文字(もじ)を書(か)いたのだ。

「お父(とう)さんがこの前(まえ)言(い)ってた……。ひいおじいちゃんの口癖(くちぐせ)は『丁寧(ていねい)な仕事(しごと)』と『暮(く)らしに役立(やくだ)つモノづくり』だって。」

「古(ふる)い話(はなし)を広志(ひろし)もよく覚(おぼ)えていたな。」

  祖父(そふ)が微笑(ほほえ)み、羽箒(はねぼうき)で棚(たな)のほこりをはらった。

「おじいちゃんは、お父(とう)さんが仕事(しごと)を継(つ)がなくてがっかりした?」

「がっかりはしなかった。」

  (3)即答(そくとう)したが、そのあとの言葉(ことば)に祖父(そふ)は詰(つ)まった。

  しばらく黙(だま)ったのち、小(ちい)さな声(こえ)がした。

「ただ……寂(さび)しくはあったな。それでも、娘(むすめ)に美緒(みお)と名付(なづ)けたと聞(き)いたとき、広志(ひろし)が家業(かぎょう)のことを深(ふか)く思(おも)っていたのがわかった。だから、それでいいと思(おも)ったよ。」

「えっ?  そんな話(はなし)は聞(き)いたことない。私(わたし)の名前(なまえ)に何(なに)か意味(いみ)があるの?」

  祖父(そふ)が、曾祖父(そうそふ)がつけていたノートに目(め)を落(お)とした。

「美(み)という漢字(かんじ)は、羊(ひつじ)と大(おお)きいという字(じ)を合(あ)わせて作(つく)られた文字(もじ)だ。緒(お)とは糸(いと)、そして命(いのち)という意味(いみ)がある。美緒(みお)とはすなわち美(うつく)しい糸(いと)、美(うつく)しい命(いのち)という意味(いみ)だ。」

  美(うつく)しい糸(いと)、と祖父(そふ)がつぶやいた。

「美緒(みお)という名前(なまえ)のなかには、大(おお)きな羊(ひつじ)と糸(いと)。私(わたし)たちの仕事(しごと)が入(はい)っている。家業(かぎょう)は続(つづ)かなくとも、美(うつく)しい命(いのち)の糸(いと)は続(つづ)いていくんだ。」

  (4)目(め)の前(まえ)にある大量(たいりょう)のノートを美緒(みお)は見(み)つめる。

  曾祖父(そうそふ)と祖父(そふ)が集(あつ)めてきたデータの蓄積(ちくせき)。このノートを使(つか)いこなせれば、自分(じぶん)が思(おも)った色(いろ)に羊毛(ようもう)や糸(いと)を染(そ)めることができる。

  その技(わざ)を持(も)っているのは、さっき頭(あたま)に触(ふ)れた祖父(そふ)の手(て)だけだ。

「おじいちゃん……私(わたし)、染(そ)めも自分(じぶん)でやってみたい。」

  祖父(そふ)がノートを棚(たな)に戻(もど)した。

「染(そ)めは大人(おとな)の仕事(しごと)だ。熱(あつ)いし、危(あぶ)ない。力仕事(ちからしごと)だから腰(こし)も痛(いた)める。染(そ)めの工程(こうてい)はこの間(あいだ)の*コチニール染(ぞ)めでわかっただろう?  それで十分(じゅうぶん)だ。」

「熱(あつ)いの大丈夫(だいじょうぶ)だよ。危(あぶ)ないことも気(き)を付(つ)ける。」

「気(き)を付(つ)けているときには事故(じこ)はおきない。それがふっと途切(とぎ)れたときに間違(まちが)いがおきるんだ。そのとき即座(そくざ)に対応(たいおう)できる決断力(けつだんりょく)がほしい。私(わたし)は年寄(としよ)りだから、その力(ちから)が鈍(にぶ)っているよ。美緒(みお)も決(けっ)して得意(とくい)なほうではないだろう。」

4

「でも……。」

「ショールの色(いろ)は決(き)まったか?  自分(じぶん)の好(す)きな色(いろ)、これからを託(たく)す色(いろ)は見(み)つけられたか?」

「まだ、です。探(さが)してるけど。」

  ショールの色(いろ)だけではなく、部屋(へや)のカーテンの色(いろ)もまだ決(き)められない。

  口調(くちょう)は穏(おだ)やかだが、決断力(けつだんりょく)に欠(か)けていることを指摘(してき)され、顔(かお)が下(した)を向(む)いた。

  *せがなくていい、と祖父(そふ)がポケットから小(ちい)さな紙(かみ)を出(だ)した。

「色(いろ)はゆっくり考(かんが)えればいい。だが、そろそろ買(か)い物(もの)に行(い)ってくれるか。来週(らいしゅう)なんてすぐだぞ。お父(とう)さんたちをもてなす準備(じゅんび)を始(はじ)めようじゃないか。」

  (5)はい、と小声(こごえ)で答(こた)え、美緒(みお)はメモを受(う)け取(と)る。

  ショールの色(いろ)だけではない。東京(とうきょう)へひとまず帰(かえ)るか、この夏(なつ)ずっと祖父(そふ)の家(いえ)で過(す)ごすか。

  それを父(ちち)に言(い)う決断(けつだん)もつけられずにいる。

 

  祖父(そふ)のコレクションルームから気(き)になる画集(がしゅう)や絵本(えほん)を部屋(へや)に運(はこ)んだあと、いつもはスープを入(い)れているステンレスボトルに水(みず)を入(い)れ、盛岡(もりおか)の町(まち)に出(で)かけた。

(伊吹(いぶき)有喜(ゆき)「雲(くも)を紡(つむ)ぐ」による)

 

〔注(ちゅう)〕

祖母(そぼ) —— 美緒(みお)の母方(ははかた)の祖母(そぼ)。横浜(よこはま)に住(す)んでいる。

 

ホームスパン —— 手(て)紡(つむ)ぎの毛糸(けいと)で手織(てお)りした毛織物(けおりもの)。

 

私(わたし)のショール —— 美緒(みお)が生後(せいご)間(ま)もない頃(ころ)に父方(ちちかた)の祖父母(そふぼ)から贈(おく)られた、とても大切(たいせつ)にしている赤(あか)い手織(ており)のショール。

 

雪童子(ゆきわらす) —— 子供(こども)の姿(すがた)をしている雪(ゆき)の精(せい)。

 

コチニール染(ぞ)め —— コチニールカイガラムシから採(と)れる赤色(あかいろ)の天然(てんねん)色素(しきそ)を用(もち)いた染色(せんしょく)作業(さぎょう)。

 

せがなくていい —— 急(いそ)がなくてよい。

 

 

〔問(とい)1〕   (1)「ねえ、おじいちゃん。あの棚(たな)の本(ほん)、あとで私(わたし)の部屋(へや)に持(も)っていっていい?」とあるが、このときの美緒(みお)の気持(きも)ちに最(もっと)も近(ちか)いのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 幼(おさな)い頃(ころ)に感(かん)じられなかった、絵本(えほん)の美(うつく)しさや楽(たの)しさに気付(きづ)かせてくれた祖父(そふ)に親(した)しみを抱(いだ)き、祖父(そふ)の本(ほん)をもっと読(よ)みたいと思(おも)う気持(きも)ち。
イ 祖父(そふ)が絵本(えほん)に登場(とうじょう)する服(ふく)の色(いろ)に着目(ちゃくもく)していることに興味(きょうみ)をもち、自分(じぶん)の本(ほん)と棚(たな)の本(ほん)を研究(けんきゅう)して、祖父(そふ)に認(みと)めてもらいたいと思(おも)う気持(きも)ち。
ウ 祖父(そふ)が親愛(しんあい)の情(じょう)を示(しめ)してくれたことを嬉(うれ)しく感(かん)じ、自分(じぶん)が棚(たな)の本(ほん)に興味(きょうみ)を示(しめ)すことによって、祖父(そふ)をもっと喜(よろこ)ばせたいと思(おも)う気持(きも)ち。
エ 会話(かいわ)を通(つう)じて祖父(そふ)の人柄(ひとがら)や考(かんが)え方(かた)にひかれ、祖父(そふ)が集(あつ)めてきた棚(たな)の本(ほん)を読(よ)むことで、本(ほん)の好(この)みや選(えら)び方(かた)を知(し)りたいと思(おも)う気持(きも)ち。

5

〔問(とい)2〕   (2)ノートをのぞくと角張(かくば)った字(じ)と、流(なが)れるような書体(しょたい)の祖父(そふ)の筆跡(ひっせき)が混(ま)じっていた。とあるが、この表現(ひょうげん)について述(の)べたものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 祖父(そふ)が曾祖父(そうそふ)の厳格(げんかく)さに反発(はんぱつ)する気持(きも)ちをもっていたことを、二人(ふたり)の対照的(たいしょうてき)な書体(しょたい)を対比(たいひ)させて描(えが)くことで、象徴的(しょうちょうてき)に表現(ひょうげん)している。
イ 祖父(そふ)が曾祖父(そうそふ)と共(とも)に芸術的(げいじゅつてき)表現(ひょうげん)を追求(ついきゅう)していたことを、二人(ふたり)の筆跡(ひっせき)をたとえを用(もち)いて技巧的(ぎこうてき)に描(えが)くことで、情緒的(じょうちょてき)に表現(ひょうげん)している。
ウ 祖父(そふ)が曾祖父(そうそふ)と共(とも)に染(そ)めに携(たずさ)わりつつ記録(きろく)を引(ひ)き継(つ)いできたことを、二人(ふたり)の異(こと)なる筆跡(ひっせき)を視覚的(しかくてき)に描(えが)くことで、印象的(いんしょうてき)に表現(ひょうげん)している。
エ 祖父(そふ)が曾祖父(そうそふ)と共(とも)に色(いろ)鮮(あざ)やかで美(うつく)しい糸(いと)を紡(つむ)ぐ仕事(しごと)を続(つづ)けてきたことを、二人(ふたり)の字形(じけい)や色彩(しきさい)を絵画的(かいがてき)に描(えが)くことで、写実的(しゃじつてき)に表現(ひょうげん)している。

 

〔問(とい)3〕   (3)即答(そくとう)したが、そのあとの言葉(ことば)に祖父(そふ)は詰(つ)まった。とあるが、「祖父(そふ)」が「そのあとの言葉(ことば)」に「詰(つ)まった」わけとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 一度(いちど)は否定(ひてい)したものの、当時(とうじ)を振(ふ)り返(かえ)って本当(ほんとう)はがっかりしていたのだと思(おも)い直(なお)し、そのときの気持(きも)ちを美緒(みお)に伝(つた)えたいと思(おも)っていたから。
イ 息子(むすこ)が自立(じりつ)したときに抱(いだ)いた切(せつ)なさと、家業(かぎょう)に対(たい)する息子(むすこ)の思(おも)いを推(お)し量(はか)っていたことを振(ふ)り返(かえ)りつつ、美緒(みお)に伝(つた)える言葉(ことば)を探(さが)していたから。
ウ 息子(むすこ)の進(すす)んだ道(みち)に理解(りかい)を示(しめ)しつつも、心(こころ)の底(そこ)に抱(いだ)いてきた寂(さび)しさや疑問(ぎもん)が不意(ふい)に膨(ふく)れ上(あ)がり、気持(きも)ちを懸命(けんめい)に抑(おさ)えようとしていたから。
エ 気落(きお)ちしなかったと答(こた)えたのは、祖父(そふ)としてただ威厳(いげん)を示(しめ)そうとしたためだったと気付(きづ)き、美緒(みお)にどう説明(せつめい)すべきか迷(まよ)っていたから。

 

〔問(とい)4〕   (4)目(め)の前(まえ)にある大量(たいりょう)のノートを美緒(みお)は見(み)つめる。とあるが、この表現(ひょうげん)から読(よ)み取(と)れる「美緒(みお)」の様子(ようす)として最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 脈々(みゃくみゃく)と続(つづ)いている生命(せいめい)と家業(かぎょう)の技術(ぎじゅつ)を尊(とうと)く感(かん)じつつ、父(ちち)が自分(じぶん)の名前(なまえ)に込(こ)めた家業(かぎょう)の継承(けいしょう)への期待(きたい)を知(し)って徐々(じょじょ)に意欲(いよく)を高(たか)めている様子(ようす)。
イ 目(め)の前(まえ)にある大量(たいりょう)のノートに記(しる)されたこれから関(かか)わろうとしている仕事(しごと)の量(りょう)と質(しつ)の高(たか)さに戸惑(とまど)い、自分(じぶん)の拙(つたな)さを強(つよ)く感(かん)じている様子(ようす)。
ウ 曾祖父(そうそふ)と祖父(そふ)の染色(せんしょく)への思(おも)いや労力(ろうりょく)に敬服(けいふく)するとともに、父(ちち)が大切(たいせつ)に思(おも)っていた家業(かぎょう)を継(つ)がなかった真意(しんい)を測(はか)りかねている様子(ようす)。
エ 曾祖父(そうそふ)と祖父(そふ)の研究(けんきゅう)の重(おも)みや自分(じぶん)の名前(なまえ)に込(こ)められた父(ちち)の思(おも)いを想起(そうき)しつつ、ノートに従(したが)って糸(いと)を染(そ)めてみたいと考(かんが)えている様子(ようす)。

 

〔問(とい)5〕   (5)はい、と小声(こごえ)で答(こた)え、美緒(みお)はメモを受(う)け取(と)る。とあるが、このときの「美緒(みお)」の気持(きも)ちに最(もっと)も近(ちか)いのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 染(そ)めに取(と)り組(く)むことが認(みと)められなかったことはもっともだと納得(なっとく)し、ショールの色(いろ)を決(き)められない自分(じぶん)の優柔(ゆうじゅう)不断(ふだん)さを嫌悪(けんお)するが、父親(ちちおや)たちにはまだ自分(じぶん)の能力(のうりょく)の限界(げんかい)だとは思(おも)われたくないと願(ねが)う気持(きも)ち。
イ 染(そ)めの希望(きぼう)がかなわず残念(ざんねん)に思(おも)うものの、決断力(けつだんりょく)の弱(よわ)さを指摘(してき)されてもなお染(そ)めに対(たい)する意欲(いよく)を失(うしな)わず、父親(ちちおや)たちとの再会(さいかい)に思(おも)いを巡(めぐ)らす中(なか)で自分(じぶん)のこれからのことをどのように伝(つた)えるべきか迷(まよ)う気持(きも)ち。
ウ 染(そ)めに取(と)り組(く)みたいという願(ねが)いがかなわなかったことに悲(かな)しみが込(こ)み上(あ)げ、急(いそ)がなくてよいという祖父(そふ)の慰(なぐさ)めの言葉(ことば)と、父(ちち)が祖父(そふ)を説得(せっとく)すれば染(そ)めに取(と)り組(く)めるかもしれないという期待(きたい)にすがりたい気持(きも)ち。
エ 染(そ)めの仕事(しごと)を認(みと)めようとしない祖父(そふ)の態度(たいど)に困惑(こんわく)しながら、決断力(けつだんりょく)の弱(よわ)さを自覚(じかく)して落胆(らくたん)するとともに、父親(ちちおや)たちとの再会(さいかい)を控(ひか)えて染(そ)めとの向(む)き合(あ)い方(かた)を模索(もさく)してこなかったことを後悔(こうかい)する気持(きも)ち。

 

6

 4 

次(つぎ)の文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。

  以前(いぜん)、興味(きょうみ)深(ぶか)い話(はなし)を聞(き)きました。鉄筋(てっきん)コンクリート造(づくり)の団地(だんち)で生(う)まれ育(そだ)った小学生(しょうがくせい)がはじめて田舎(いなか)にある旧来(きゅうらい)の日本(にほん)家屋(かおく)に行(い)ったときの話(はなし)です。瓦屋根(かわらやね)の下(した)、縁側(えんがわ)に寝(ね)そべり、庭(にわ)や遠(とお)くの山並(やまな)みを見(み)ながら彼(かれ)はこう言(い)ったそうです。〝懐(なつ)かしいね〟と。彼(かれ)にとってみれば未知(みち)の新(あたら)しい場所(ばしょ)なのですが、すでに体験(たいけん)したことのある場所(ばしょ)のように感(かん)じているかのようです。それはDNAに刷(す)りこまれた風景(ふうけい)なのか、あるいは幼少期(ようしょうき)に見聞(みき)きした日本(にほん)昔話(むかしばなし)の絵本(えほん)の画(え)がずっと頭(あたま)にあったからなのかわかりませんが、いずれにせよ琴線(きんせん)に触(ふ)れる、情感(じょうかん)溢(あふ)れた実体的(じったいてき)な場所(ばしょ)に出会(であ)うことで記憶(きおく)の回路(かいろ)がつながったのではないでしょうか。(第一段(だいいちだん))

  ポルトガルに旅行(りょこう)したことがあります。はじめて行(い)く国(くに)、はじめて行(い)く場所(ばしょ)だったのですが、そこで見(み)た風景(ふうけい)や人(ひと)の営為(えいい)はとても〝懐(なつ)かしい〟と感(かん)じたのです。これも自分(じぶん)の中(なか)に潜在的(せんざいてき)にあった記憶(きおく)の断片(だんぺん)のようなものがつながったからでしょう。かつて自分(じぶん)の身(み)の周(まわ)りにあったけれどもいまは失(うしな)われてしまった風景(ふうけい)や人(ひと)の営為(えいい)がポルトガルにはまだある、という切(せつ)ない喪失感(そうしつかん)もともなっていたように思(おも)いますが、しかしそれ以上(いじょう)にこの場所(ばしょ)に出会(であ)えてよかったと思(おも)う喜(よろこ)びの感情(かんじょう)がはるかに大(おお)きかったように記憶(きおく)しています。そんな懐(なつ)かしさの感情(かんじょう)を抱(いだ)くことができれば、その新(あたら)しい場所(ばしょ)は慣(な)れ親(した)しんだ馴染(なじ)みのある場所(ばしょ)になります。するとそこに安心感(あんしんかん)と寛容(かんよう)さを感(かん)じることができます。(第二段(だいにだん))

  (1)そんな団地(だんち)の小学生(しょうがくせい)の話(はなし)やポルトガルでの体験(たいけん)は、複合的(ふくごうてき)で抽象的(ちゅうしょうてき)な懐(なつ)かしさということで共通(きょうつう)しています。場所(ばしょ)や空間(くうかん)における〝新(あたら)しさ〟と〝懐(なつ)かしさ〟は隣(とな)り合(あ)わせであるということや、人(ひと)の記憶(きおく)の回路(かいろ)をつなぎ合(あ)わせることができる伝統(でんとう)、慣習(かんしゅう)が根付(ねづ)いた実体的(じったいてき)な空間(くうかん)、場所(ばしょ)の尊(とうと)さと力強(ちからづよ)さを感(かん)じさせます。そしてまだ自分(じぶん)が訪(おとず)れたことのない世界(せかい)にも懐(なつ)かしい場所(ばしょ)は存在(そんざい)していて、それを発見(はっけん)できるということの喜(よろこ)びと可能性(かのうせい)も感(かん)じさせてくれます。(第三段(だいさんだん))

  一方(いっぽう)、何十年(なんじゅうねん)かぶりに故郷(こきょう)に帰(かえ)って食(た)べる料理(りょうり)や、顔(かお)を合(あ)わせる家族(かぞく)、親戚(しんせき)や友人(ゆうじん)、そしてあらためて眺(なが)める風景(ふうけい)に、直接的(ちょくせつてき)で具体的(ぐたいてき)な懐(なつ)かしさを感(かん)じる場合(ばあい)も多(おお)いでしょう。しかし久(ひさ)しぶりに出会(であ)う懐(なつ)かしいものは以前(いぜん)出会(であ)ったものとは、正確(せいかく)にいえば異(こと)なっています。物理的(ぶつりてき)な経年(けいねん)変化(へんか)があるからではありません。それは自分(じぶん)自身(じしん)が時間(じかん)や経験(けいけん)を積(つ)み重(かさ)ね、大(おお)きく変化(へんか)したということなのです。例(たと)えば、当時(とうじ)は母(はは)の味(あじ)や郷土(きょうど)料理(りょうり)、故郷(こきょう)の風景(ふうけい)が好(す)きではなかったのに、その後(ご)の時間(じかん)の中(なか)で経験(けいけん)してきたことを客観的(きゃっかんてき)に相対的(そうたいてき)に重(かさ)ね合(あ)わせてゆくと、実(じつ)はこんなにも美(うつく)しく、美味(おい)しく、尊(とうと)いものだったのだということに気(き)づいた経験(けいけん)は誰(だれ)にもあるのではないでしょうか。それは自分(じぶん)の感情(かんじょう)や視点(してん)がいまと昔(むかし)では大(おお)きく変化(へんか)したことで、久(ひさ)しぶりに出会(であ)うものや人(ひと)の〝質(しつ)〟や〝価値(かち)〟さえも自身(じしん)が変(か)えたということなのだと思(おも)います。〝平凡(へいぼん)〟を〝非凡(ひぼん)〟に変(か)えたといってもいいでしょう。そしてその進化(しんか)した感情(かんじょう)、視点(してん)によって、伝統(でんとう)や慣習(かんしゅう)の中(なか)にある、人(ひと)、営為(えいい)、原(げん)風景(ふうけい)を〝誇(ほこ)り〟に思(おも)うことができるようになっているのです。(2)懐(なつ)かしいという感情(かんじょう)によって人生(じんせい)の中(なか)で新(あら)たな価値(かち)を見出(みいだ)したのです。それは懐(なつ)かしさという感情(かんじょう)の素晴(すば)らしい働(はたら)きです。さらにこの〝誇(ほこ)り〟という感情(かんじょう)はとても重要(じゅうよう)です。なぜなら人(ひと)は、誇(ほこ)りに感(かん)じるものは自然(しぜん)と大切(たいせつ)にしようとするからです。(第四段(だいよんだん))

  人(ひと)は記憶(きおく)を頼(たよ)りに生(い)きてゆく動物(どうぶつ)と言(い)われています。言(い)い方(かた)を換(か)えれば、懐(なつ)かしさのような記憶(きおく)に関(かか)わる情緒(じょうちょ)抜(ぬ)きでは人(ひと)は生(い)きてゆけないということです。懐(なつ)かしさは、視覚(しかく)だけでなく触覚(しょっかく)、聴覚(ちょうかく)、嗅覚(きゅうかく)、味覚(みかく)といった五感(ごかん)をともなった記憶(きおく)が呼(よ)び起(お)こされ、それと向(む)き合(あ)うことでいまの自分(じぶん)の肉体(にくたい)、存在(そんざい)、歴史(れきし)、居場所(いばしょ)を肯定(こうてい)することができ、気持(きも)ちが未来(みらい)にひらかれてゆく前向(まえむ)きで大切(たいせつ)な感情(かんじょう)と言(い)われています。それが証拠(しょうこ)に、人(ひと)は負(ふ)の感情(かんじょう)を抱(いだ)くものに出会(であ)ったときには決(けっ)して懐(なつ)かしいとは感(かん)じません。懐(なつ)かしいものや人(ひと)に出会(であ)ったときに、人(ひと)は自然(しぜん)と笑(え)みを浮(う)かべていることが多(おお)いでしょう。懐(なつ)かしさとは人(ひと)の〝正(せい)〟の、そして〝生(せい)〟の感情(かんじょう)なのです。(第五段(だいごだん))

7

  しかし、どうも私(わたし)たちは懐(なつ)かしさに対(たい)して認識(にんしき)を誤(あやま)ってしまうことが多(おお)いように思(おも)います。〝懐(なつ)かしの昭和(しょうわ)〟〝郷愁(きょうしゅう)誘(さそ)う町(まち)〟〝懐(なつ)かしのおばあちゃんの味(あじ)〟。それらの言葉(ことば)からは〝昔(むかし)はよかった〟という懐古的(かいこてき)な眼差(まなざ)ししか感(かん)じられず、前向(まえむ)きな姿勢(しせい)や未来(みらい)への可能性(かのうせい)のようなものはあまり伝(つた)わってきません。過去(かこ)は過去(かこ)のものとして缶詰(かんづめ)に閉(と)じ込(こ)めたような、博物館(はくぶつかん)のケースの中(なか)に入(い)れた展示(てんじ)品(ひん)のような扱(あつか)いにされてしまっています。また町(まち)づくりや建築(けんちく)においても懐(なつ)かしさや郷愁(きょうしゅう)のイメージをわざと誘(さそ)うようなものも見受(みう)けられます。それら固定的(こていてき)な〝懐古(かいこ)の商品化(しょうひんか)〟や〝郷愁(きょうしゅう)のパッケージ化(か)〟は、かえって人(ひと)のイマジネーションを閉(と)ざしてしまう危険(きけん)をはらんでいます。(第六段(だいろくだん))

  さて私(わたし)たちは戦後(せんご)、〝変(か)わること〟が豊(ゆた)かさと明(あか)るい未来(みらい)を手(て)に入(い)れることだと信(しん)じてきました。もちろん変(か)わらなければならないことも多々(たた)あったと思(おも)いますが、〝変(か)えるべきこと〟と〝変(か)えなくてもいいこと〟を整理(せいり)せずに急進的(きゅうしんてき)に走(はし)り続(つづ)けてきたように思(おも)います。急速(きゅうそく)な変化(へんか)は自然(しぜん)風土(ふうど)やかけがえのない人(ひと)の営為(えいい)を壊(こわ)し、人(ひと)の記憶(きおく)にとって大切(たいせつ)な〝原(げん)風景(ふうけい)〟を奪(うば)ってゆきました。懐(なつ)かしいという前向(まえむ)きな感情(かんじょう)を抱(いだ)く間(ま)も許(ゆる)されていなかったかのようです。またいま、人(ひと)が毎日(まいにち)ほとんどの時間(じかん)見(み)つめているものはスマホやコンピュータのモニターの奥(おく)に広(ひろ)がる膨大(ぼうだい)なデータの世界(せかい)です。それらは人(ひと)の情報(じょうほう)処理(しょり)能力(のうりょく)をはるかに超(こ)えるスピードで膨張(ぼうちょう)し、そして更新(こうしん)されてゆきます。(3)そんな中(なか)、私(わたし)は世(よ)の中(なか)が更新(こうしん)し続(つづ)けるもので埋(う)め尽(つ)くされてゆけばゆくほど建築(けんちく)こそは動(うご)かずにじっとしていて、慣(な)れ親(した)しんだ変(か)わらない価値(かち)を示(しめ)すものでなければならないという思(おも)いを強(つよ)くしてきたのです。言(い)い換(か)えれば、建築(けんちく)さえも急進的(きゅうしんてき)に更新(こうしん)し続(つづ)けるだけの存在(そんざい)になってしまったら、人(ひと)は何(なに)を記憶(きおく)の拠(よ)り所(どころ)にしてゆけばいいのかわからなくなってしまうのではないでしょうか。(第七段(だいななだん))

(堀部(ほりべ)安嗣(やすし)「住(す)まいの基本(きほん)を考(かんが)える」による)

 

〔問(とい)1〕   (1)そんな団地(だんち)の小学生(しょうがくせい)の話(はなし)やポルトガルでの体験(たいけん)は、複合的(ふくごうてき)で抽象的(ちゅうしょうてき)な懐(なつ)かしさということで共通(きょうつう)しています。とあるが、「複合的(ふくごうてき)で抽象的(ちゅうしょうてき)な懐(なつ)かしさ」とはどういうことか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 未知(みち)の事象(じしょう)がもつ情感(じょうかん)と潜在的(せんざいてき)な記憶(きおく)がもつ情感(じょうかん)が重(かさ)なり合(あ)うことで思(おも)い出(だ)される、幼少期(ようしょうき)の記憶(きおく)から生(しょう)じる懐(なつ)かしさのこと。
イ 未知(みち)の場所(ばしょ)との出会(であ)いから生(しょう)じる喜(よろこ)びと情感(じょうかん)溢(あふ)れる場所(ばしょ)の記憶(きおく)から生(しょう)じる郷愁(きょうしゅう)との比較(ひかく)を通(とお)して、心(こころ)に浮(う)かぶ懐(なつ)かしさのこと。
ウ 未知(みち)の風景(ふうけい)を前(まえ)にして感(かん)じる、かつて住(す)んでいた町(まち)の失(うしな)われた景色(けしき)に対(たい)して抱(いだ)いた喪失感(そうしつかん)から生(しょう)じる懐(なつ)かしさのこと。
エ 未知(みち)のものと出会(であ)うことによって、潜在的(せんざいてき)に存在(そんざい)する様々(さまざま)な記憶(きおく)の断片(だんぺん)がつなぎ合(あ)わされて湧(わ)き上(あ)がる懐(なつ)かしさのこと。

8

〔問(とい)2〕   (2)懐(なつ)かしいという感情(かんじょう)によって人生(じんせい)の中(なか)で新(あら)たな価値(かち)を見出(みいだ)したのです。とあるが、「人生(じんせい)の中(なか)で新(あら)たな価値(かち)を見出(みいだ)した」とはどういうことか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 経験(けいけん)を積(つ)み以前(いぜん)とは異(こと)なる視点(してん)をもつことで、久(ひさ)しぶりに出会(であ)ったものにこれまで気付(きづ)かなかった魅力(みりょく)を感(かん)じるようになったということ。
イ 自分(じぶん)の経験(けいけん)から得(え)たものの見方(みかた)で目(め)の前(まえ)の事象(じしょう)を見直(みなお)すことによって、伝統(でんとう)や慣習(かんしゅう)にとらわれない新(あら)たな価値(かち)を見付(みつ)けたということ。
ウ 前向(まえむ)きで大切(たいせつ)な感情(かんじょう)を伴(ともな)う過去(かこ)の記憶(きおく)に導(みちび)かれるように、周囲(しゅうい)にあるものにかつて抱(いだ)いていた誇(ほこ)りがよみがえってきたということ。
エ 久(ひさ)しく出会(であ)うことができなかったものに対(たい)して、時間(じかん)が経過(けいか)してもそこに見出(みいだ)していた魅力(みりょく)を改(あらた)めて感(かん)じることができたということ。

 

〔問(とい)3〕   この文章(ぶんしょう)の構成(こうせい)における第六段(だいろくだん)の役割(やくわり)を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア それまでに述(の)べてきた懐(なつ)かしさに関(かん)する説明(せつめい)について、筆者(ひっしゃ)の認識(にんしき)の根拠(こんきょ)となる事例(じれい)を挙(あ)げることで、自説(じせつ)の妥当性(だとうせい)を強調(きょうちょう)している。
イ それまでに述(の)べてきた懐(なつ)かしさに関(かん)する説明(せつめい)に基(もと)づいて、筆者(ひっしゃ)が述(の)べた内容(ないよう)を要約(ようやく)し論点(ろんてん)を整理(せいり)することで、論(ろん)の展開(てんかい)を図(はか)っている。
ウ それまでに述(の)べてきた懐(なつ)かしさに関(かん)する説明(せつめい)を受(う)けて、筆者(ひっしゃ)の認識(にんしき)とは異(こと)なる具体例(ぐたいれい)を示(しめ)すことで、文章(ぶんしょう)全体(ぜんたい)の結論(けつろん)につないでいる。
エ それまでに述(の)べてきた懐(なつ)かしさに関(かん)する説明(せつめい)に対(たい)して、筆者(ひっしゃ)の主張(しゅちょう)と対照的(たいしょうてき)な事例(じれい)を列挙(れっきょ)することで、一(ひと)つ一(ひと)つ詳(くわ)しく分析(ぶんせき)している。

 

〔問(とい)4〕   (3)そんな中(なか)、私(わたし)は世(よ)の中(なか)が更新(こうしん)し続(つづ)けるもので埋(う)め尽(つ)くされてゆけばゆくほど建築(けんちく)こそは動(うご)かずにじっとしていて、慣(な)れ親(した)しんだ変(か)わらない価値(かち)を示(しめ)すものでなければならないという思(おも)いを強(つよ)くしてきたのです。と筆者(ひっしゃ)が述(の)べたのはなぜか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 未来(みらい)への前向(まえむ)きな意志(いし)をもつことが難(むずか)しい世(よ)の中(なか)ではあるが、建築(けんちく)だけは、懐(なつ)かしさや郷愁(きょうしゅう)を印象(いんしょう)付(づ)けることが必要(ひつよう)であると考(かんが)えるから。
イ 急速(きゅうそく)に物事(ものごと)が更新(こうしん)され続(つづ)ける現在(げんざい)において、変(か)わらずそこにあり続(つづ)ける建築(けんちく)は、人(ひと)の記憶(きおく)の原(げん)風景(ふうけい)となり得(え)る存在(そんざい)であると考(かんが)えるから。
ウ 建築(けんちく)においても、〝変(か)えるべきこと〟と〝変(か)えなくてもいいこと〟を整理(せいり)し、新(あら)たな建造物(けんぞうぶつ)には懐古的(かいこてき)な工夫(くふう)が必要(ひつよう)であると考(かんが)えるから。
エ 明(あか)るい未来(みらい)を築(きず)くためには変化(へんか)を止(と)めることが重要(じゅうよう)であり、不変(ふへん)の象徴(しょうちょう)として建築(けんちく)を位置付(いちづ)け、人々(ひとびと)の意識(いしき)を向(む)けさせたいと考(かんが)えるから。

 

〔問(とい)5〕  国語(こくご)の授業(じゅぎょう)でこの文章(ぶんしょう)を読(よ)んだ後(あと)、「自分(じぶん)の『記憶(きおく)の拠(よ)り所(どころ)』となるもの」というテーマで自分(じぶん)の意見(いけん)を発表(はっぴょう)することになった。このときにあなたが話(はな)す言葉(ことば)を、具体的(ぐたいてき)な体験(たいけん)や見聞(けんぶん)も含(ふく)めて二百字(にひゃくじ)以内(いない)で書(か)け。なお、書(か)き出(だ)しや改行(かいぎょう)の際(さい)の空欄(くうらん)、〝 、〟や〝 。〟や〝「 〟などもそれぞれ字数(じすう)に数(かぞ)えよ。

 

9

 5 

  次(つぎ)のAは、鴨長明(かものちょうめい)が書(か)いた「*方丈記(ほうじょうき)」に関(かん)する対談(たいだん)の一部(いちぶ)であり、Bは、対談中(たいだんちゅう)にでてくる「*無名抄(むみょうしょう)」の俊恵(しゅんえ)から長明(ちょうめい)へのアドバイスに当(あ)たる原文(げんぶん)の一部(いちぶ)である。また、あとの   内(ない)の文章(ぶんしょう)はBの現代語訳(げんだいごやく)である。これらの文章(ぶんしょう)を読(よ)んで、あとの各問(かくとい)に答(こた)えよ。(*印(しるし)の付(つ)いている言葉(ことば)には、本文(ほんぶん)のあとに〔注(ちゅう)〕がある。)

 

A

駒井(こまい)   素朴(そぼく)な疑問(ぎもん)ですが、今(いま)の出版(しゅっぱん)の世界(せかい)だと、編集者(へんしゅうしゃ)がいて「これを書(か)いてくれませんか」という話(はなし)になりますよね。『方丈記(ほうじょうき)』を書(か)いているときの長明(ちょうめい)には、誰(だれ)かに読(よ)ませるとか、後世(こうせい)に残(のこ)すとか、そういう思(おも)いはあったのでしょうか。
蜂飼(はちかい)   どうなんでしょう、わかりませんね。誰(だれ)かに読(よ)んでもらう、あるいは読(よ)まれてしまう可能性(かのうせい)は考(かんが)えたのかなと思(おも)いますが、結局(けっきょく)は、ゆかりのあるお寺(てら)の僧侶(そうりょ)たちに渡(わた)ったんじゃないかと思(おも)うんですよね。でも、現代的(げんだいてき)な意味(いみ)で言(い)う読者(どくしゃ)ってものを考(かんが)えたかというと……。当時(とうじ)は手書(てが)きで、最初(さいしょ)は一冊(いっさつ)しかない。それを読(よ)んでもらいたいとか、読(よ)まれてもいいと考(かんが)えたのか、その辺(あた)りは研究(けんきゅう)などを見(み)ても、推測(すいそく)の域(いき)を出(で)るものがありません。

  これがたとえば『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』だったら、みんなで読(よ)んで聞(き)いて楽(たの)しむという、そういう舞台(ぶたい)を想像(そうぞう)できるじゃないですか。それに対(たい)して『方丈記(ほうじょうき)』のような作品(さくひん)は、どういう享受(きょうじゅ)のされ方(かた)をイメージしたか、想像(そうぞう)するのが意外(いがい)と難(むずか)しい。
(1)駒井(こまい)    宮廷(きゅうてい)文化(ぶんか)の中(なか)で筆写(ひっしゃ)されたりして読(よ)まれるものであれば別(べつ)ですが、この作品(さくひん)は、方丈(ほうじょう)の中(なか)で書(か)かれたものが残(のこ)って、こうやって生(い)きている。古典(こてん)の中(なか)でも、一味(ひとあじ)違(ちが)う力(ちから)を強(つよ)く感(かん)じます。
蜂飼(はちかい)   後(のち)の『平家(へいけ)物語(ものがたり)』にも影響(えいきょう)があるわけですしね。そうなると、やはり、伝(つた)わる力(ちから)を当時(とうじ)から持(も)っている作品(さくひん)だったんだと思(おも)います。

  ただ、受(う)け取(と)った人(ひと)が、どういう部分(ぶぶん)に対(たい)してどういう感(かん)じ方(かた)をしたかということは、現代人(げんだいじん)には想像(そうぞう)が難(むずか)しいかもしれません。『方丈記(ほうじょうき)』の最後(さいご)の部分(ぶぶん)に、自分(じぶん)は修行(しゅぎょう)で山(やま)の中(なか)に籠(こも)っているのに、こんなことを書(か)き連(つら)ねていてはいけないと自戒(じかい)する箇所(かしょ)があります。だから、そういうことを含(ふく)め、修行(しゅぎょう)に入(はい)った人(ひと)の手記(しゅき)みたいなものとして当時(とうじ)の受(う)け手(て)は受(う)け取(と)ったんだろうなとは思(おも)うんです。

  それに対(たい)して、現代(げんだい)に読(よ)むときに、読者(どくしゃ)がどのような要素(ようそ)を通(とお)して『方丈記(ほうじょうき)』を受(う)け取(と)るかと考(かんが)えると、自分(じぶん)自身(じしん)では運(うん)がないと思(おも)っている人(ひと)の個人的(こじんてき)な来歴(らいれき)や気持(きも)ち、それに自然(しぜん)描写(びょうしゃ)の美(うつく)しさ、そして災害(さいがい)の記述(きじゅつ)が持(も)つある種(しゅ)の臨場感(りんじょうかん)、そういった要素(ようそ)で受(う)け取(と)るわけですよね。(2)ですから、まあ、さまざまな受(う)け取(と)り方(かた)に対(たい)して開(ひら)かれている作品(さくひん)と言(い)っていいのかなと思(おも)いますよね。たった二十数(にじゅうすう)枚(まい)の短(みじか)めの作品(さくひん)であるにもかかわらず、いろんな近(ちか)づき方(かた)ができると。
駒井(こまい)   彼(かれ)の生涯(しょうがい)を遡(さかのぼ)ると、方丈(ほうじょう)に住(す)む前(まえ)は、*禰宜(ねぎ)の地位(ちい)に就(つ)きたいとか、ひょっとしたら歌(うた)のお師匠(ししょう)にだとか、ずいぶん俗(ぞく)っぽい夢(ゆめ)を持(も)っていたようですね。最初(さいしょ)から人生(じんせい)を捨(す)てて*解脱(げだつ)していたとか、そういう人(ひと)ではなかったということですよね。
蜂飼(はちかい)   そうですよね。とくに、自分(じぶん)の亡(な)くなった父親(ちちおや)に関(かか)わる*下鴨(しもがも)の禰宜(ねぎ)の職(しょく)には、相当(そうとう)こだわったようです。それが実現(じつげん)できないということは、大(おお)きかったのかなと思(おも)います。
駒井(こまい)   ある種(しゅ)の挫折感(ざせつかん)のようなものがあったのでしょうか。
蜂飼(はちかい)   ええ。挫折(ざせつ)ですけど、自分(じぶん)では、運(うん)がないという言(い)い方(かた)をしています。原文(げんぶん)の言葉(ことば)だと「*おのづから短(みじか)き運(うん)を悟(さと)りぬ」。ただ、この人(ひと)は自分(じぶん)自身(じしん)で運(うん)が悪(わる)いと言(い)っていますが、外面的(がいめんてき)に考(かんが)えれば、人間(にんげん)関係(かんけい)ではわりといい人(ひと)たちに恵(めぐ)まれた部分(ぶぶん)があったと思(おも)う。

10

駒井(こまい)   恵(めぐ)まれていますよね。
蜂飼(はちかい)   たとえば、長明(ちょうめい)の歌(うた)の先生(せんせい)は俊恵(しゅんえ)という歌人(かじん)です。(3)俊恵(しゅんえ)から与(あた)えられたアドバイスについては、長明(ちょうめい)が書(か)いた歌論書(かろんしょ)の『無名(むみょう)抄(しょう)』にいろいろ出(で)てきますが、俊恵(しゅんえ)のもとにいたときの思(おも)い出話(でばなし)なども記(しる)されていて面白(おもしろ)いですし、長明(ちょうめい)自身(じしん)に魅力(みりょく)があったからこそ身(み)のまわりにそういう関係(かんけい)ができたんじゃないかと思(おも)います。

  彼(かれ)は、琵琶(びわ)が上手(じょうず)な音楽家(おんがくか)でもありました。琵琶(びわ)の先生(せんせい)は*中原(なかはらの)有安(ありやす)という人(ひと)ですけど、この人(ひと)も長明(ちょうめい)に目(め)をかけている。そんなところに注目(ちゅうもく)すると、本人(ほんにん)は不遇(ふぐう)だったと言(い)うけれども、ただそればかりではなかっただろうと思(おも)うのです。
駒井(こまい)   本人(ほんにん)がそう思(おも)っても、歌(うた)の先生(せんせい)が優(すぐ)れた人(ひと)だったり、琵琶(びわ)の師匠(ししょう)がよくしてくれたり、客観的(きゃっかんてき)に見(み)ると結構(けっこう)、恵(めぐ)まれた人間(にんげん)関係(かんけい)の中(なか)を生(い)きた人(ひと)じゃないですか。
蜂飼(はちかい)   そうです。あと、後鳥羽院(ごとばいん)。後鳥羽院(ごとばいん)も長明(ちょうめい)にはかなり目(め)をかけていた。彼(かれ)が『新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)』を企画(きかく)して、そのために設置(せっち)した和歌所(わかどころ)という機関(きかん)があります。そこで働(はたら)くメンバーの一人(ひとり)に選(えら)ばれているんです。他(ほか)のメンバーはみんな貴族(きぞく)で、長明(ちょうめい)は地下(じげ)の人(ひと)(昇殿(しょうでん)を許(ゆる)されていない官人(かんじん)や身分(みぶん)の人(ひと))なんですけども、大抜擢(だいばってき)されてそこに入(はい)って仕事(しごと)をしている。

  そうなると、歌(うた)に命(いのち)を懸(か)けている人(ひと)ですから、一生(いっしょう)懸命(けんめい)仕事(しごと)をしたらしい。私(わたし)たち現代人(げんだいじん)は、長明(ちょうめい)をまず『方丈記(ほうじょうき)』の作者(さくしゃ)だと思(おも)いますけど、彼(かれ)はまず歌人(かじん)なんですよ。それで、和歌所(わかどころ)の事務方(じむかた)の長(ちょう)にあたる仕事(しごと)をしていた源(みなもとの)家長(いえなが)という人(ひと)が書(か)いた『家長(いえなが)日記(にっき)』の中(なか)に、長明(ちょうめい)の精勤(せいきん)ぶりは素晴(すば)らしいとある。(4)そういうところに、長明(ちょうめい)の物事(ものごと)にかける情熱(じょうねつ)というか、人間(にんげん)臭(くさ)さが表(あらわ)れているなあと思(おも)うんです。

 

   (蜂飼(はちかい)耳(みみ)、駒井(こまい)稔(みのる)「鴨(かもの)長明(ちょうめい)『方丈記(ほうじょうき)』」〈「文学(ぶんがく)こそ最高(さいこう)の教養(きょうよう)である」所収(しょしゅう)〉による)

 

B

  歌(うた)は極(きは)めたる故実(こじつ)の侍(はべ)るなり。われをまことに師(し)と頼(たの)まれば、このこと違(たが)へらるな。そこはかならず末(すえ)の世(よ)の歌仙(かせん)にていますかるべき上(うえ)に、かやうに契(ちぎ)りをなさるれば申(もう)し侍(はべ)るなり。あなかしこあなかしこ、われ人(ひと)に許(ゆる)さるるほどになりたりとも、証得(しょうとく)して、われは気色(きそく)したる歌(うた)詠(よ)み給(たま)ふな。ゆめゆめあるまじきことなり。後徳大寺(ごとくだいじ)の大臣(おとど)は左右(さう)なき手(て)だりにていませしかど、その故実(こじつ)なくて、今(いま)は詠(よ)みくち後手(のちて)になり給(たま)へり。そのかみ前(さき)の大納言(だいなごん)など聞(き)こえし時(とき)、道(みち)を執(しっ)し、人(ひと)を恥(は)ぢて、磨(みが)き立(た)てたりし時(とき)のままならば、今(いま)は肩(かた)並(なら)ぶ人(ひと)少(すく)なからまし。われ至(いた)りにたりとて、この頃(ころ)詠(よ)まるる歌(うた)は、少(すこ)しも思(おも)ひ入(い)れず、やや心(こころ)づきなき言葉(ことば)うち混(ま)ぜたれば、何(なに)によりてかは秀歌(しゅうか)も出(い)で来(こ)む。秀逸(しゅういつ)なければまた人(ひと)用(もち)ゐず。歌(うた)は当座(とうざ)にこそ、人(ひと)がらによりて良(よ)くも悪(あ)しくも聞(き)こゆれど、後朝(ごちょう)に今(いま)一度(いちど)静(しず)かに見(み)たるたびは、さはいへども、風情(ふぜい)もこもり、姿(すがた)もすなほなる歌(うた)こそ見(み)とほしは侍(はべ)れ。

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  歌(うた)にはこの上(うえ)ない昔(むかし)からの心得(こころえ)があるのです。私(わたし)を本当(ほんとう)に師(し)と信頼(しんらい)なさるのならば、このことを守(まも)っていただきたい。あなたは(5)かならずやこの先(さき)の世(よ)の中(なか)で歌(うた)の名人(めいじん)でいらっしゃるに違(ちが)いない上(うえ)に、このように師弟(してい)の約束(やくそく)をされたので申(もう)すのです。決(けっ)して決(けっ)して、自分(じぶん)が他人(たにん)に認(みと)められるようになったとしても、得意(とくい)になって、われこそはという様子(ようす)をした歌(うた)をお詠(よ)みなさいますな。決(けっ)して決(けっ)してしてはならないことである。*後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣(さだいじん)藤原(ふじわらの)実定(さねさだ)公(こう)は並(なら)ぶもののない名手(めいしゅ)でいらっしゃったが、その心得(こころえ)がなくて、今(いま)では詠(よ)みぶりが劣(おと)ってこられた。以前(いぜん)、前大納言(ぜんだいなごん)などと申(もう)し上(あ)げた時(とき)、歌(うた)の道(みち)に執着(しゅうちゃく)し、他人(たにん)の目(め)を気(き)にし、切磋(せっさ)琢磨(たくま)された時(とき)のままであったならば、今(いま)では肩(かた)を並(なら)べる人(ひと)も少(すく)ないであろう。自分(じぶん)は名人(めいじん)の境地(きょうち)に到達(とうたつ)したのだと思(おも)って、近頃(ちかごろ)お詠(よ)みになる歌(うた)は、少(すこ)しも深(ふか)く心(こころ)を込(こ)めず、ややもすれば感心(かんしん)しない言葉(ことば)を混(ま)ぜているから、どうして秀歌(しゅうか)も出来(でき)ることがあろうか。秀作(しゅうさく)がなければ二度(にど)と他人(たにん)は相手(あいて)にしない。歌(うた)は詠(よ)んだその場(ば)でこそ、詠(よ)み手(て)の人(ひと)となりによって良(よ)くも悪(わる)くも聞(き)こえるが、翌朝(よくあさ)にもう一(いちど)度静(しず)かに見(み)た場合(ばあい)には、そうは言(い)っても、情趣(じょうしゅ)も内(うち)にこめられ、歌(うた)の姿(すがた)もすなおな歌(うた)こそいつまでも見(み)ていられるものです。

 

(久保田(くぼた)淳(あつし)「無名(むみょう)抄(しょう)」による)

 

 

〔注(ちゅう)〕

方丈記(ほうじょうき) —— 鎌倉(かまくら)時代(じだい)に鴨(かもの)長明(ちょうめい)が書(か)いた随筆(ずいひつ)。京都(きょうと)郊外(こうがい)にある方丈(ほうじょう)(畳(たたみ)四畳半(よじょうはん)ほどの広(ひろ)さ)の部屋(へや)に住(す)みながら書(か)いたことから名付(なづ)けられた。

 

無名抄(むみょうしょう) —— 鎌倉(かまくら)時代(じだい)に鴨(かもの)長明(ちょうめい)が書(か)いた歌論書(かろんしょ)。

 

禰宜(ねぎ) —— 神社(じんじゃ)における職名(しょくめい)の一(ひと)つ。

 

解脱(げだつ) —— 悩(なや)みや迷(まよ)いから抜(ぬ)け出(で)て、自由(じゆう)の境地(きょうち)に達(たっ)すること。

 

下鴨(しもがも) —— 京都(きょうと)にある下鴨(しもがも)神社(じんじゃ)のこと。

 

おのづから短(みじか)き運(うん)を悟(さと)りぬ —— 自分(じぶん)には運(うん)がないということを自然(しぜん)に知(し)った。

 

中原(なかはらの)有安(ありやす) —— 平安(へいあん)時代(じだい)末期(まっき)の歌人(かじん)、音楽家(おんがくか)。

 

後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣(さだいじん)藤原(ふじわらの)実定(さねさだ) —— 平安(へいあん)時代(じだい)末期(まっき)から鎌倉(かまくら)時代(じだい)初期(しょき)にかけての歌人(かじん)。

 

〔問(とい)1〕   (1)駒井(こまい)さんの発言(はつげん)のこの対談(たいだん)における役割(やくわり)を説明(せつめい)したものとして最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 直前(ちょくぜん)の蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)に賛同(さんどう)しつつ、「方丈記(ほうじょうき)」の魅力(みりょく)を語(かた)ることで、話題(わだい)を「源氏(げんじ)物語(ものがたり)」から「方丈記(ほうじょうき)」に戻(もど)そうとしている。
イ 「源氏(げんじ)物語(ものがたり)」と「方丈記(ほうじょうき)」に関(かん)する蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)を受(う)け、二(ふた)つの作品(さくひん)の共通点(きょうつうてん)を述(の)べて、「平家(へいけ)物語(ものがたり)」の話題(わだい)へと広(ひろ)げている。
ウ 自(みずか)らの疑問(ぎもん)に対(たい)する蜂飼(はちかい)さんの見解(けんかい)を受(う)け、作品(さくひん)の受(う)け入(い)れられ方(かた)に関(かん)する「方丈記(ほうじょうき)」の評価(ひょうか)を述(の)べて、次(つぎ)の発言(はつげん)を促(うなが)している。
エ 二(ふた)つの作品(さくひん)を対(たい)比(ひ)する蜂飼(はちかい)さんの発言(はつげん)を受(う)け、「方丈記(ほうじょうき)」に絞(しぼ)って感想(かんそう)を述(の)べることで、話題(わだい)を焦点化(しょうてんか)するきっかけとしている。

 

12

〔問(とい)2〕   (2)ですから、まあ、さまざまな受(う)け取(と)り方(かた)に対(たい)して開(ひら)かれている作品(さくひん)と言(い)っていいのかなと思(おも)いますよね。とあるが、「さまざまな受(う)け取(と)り方(かた)に対(たい)して開(ひら)かれている作品(さくひん)」について説明(せつめい)したものとして、最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 書(か)かれている話題(わだい)が多様(たよう)なことから、何(なに)を主要(しゅよう)な要素(ようそ)と受(う)け取(と)るかは、現代(げんだい)における読者(どくしゃ)に広(ひろ)く委(ゆだ)ねられている作品(さくひん)。
イ 過去(かこ)の読者(どくしゃ)よりも、現代(げんだい)の読者(どくしゃ)の心(こころ)を*揺(ゆ)さぶるような内容(ないよう)が複数(ふくすう)書(か)かれていて、現代(げんだい)の読者(どくしゃ)でも理解(りかい)しやすい作品(さくひん)。
ウ 古典(こてん)の中(なか)でも短(みじか)いとされてはいるものの、書(か)かれた当時(とうじ)の読者(どくしゃ)が読(よ)めば、多様(たよう)な受(う)け取(と)り方(かた)ができたと思(おも)われる作品(さくひん)。
エ 修行中(しゅぎょうちゅう)に、他(ほか)のことに没頭(ぼっとう)する自分(じぶん)を戒(いまし)めようとして書(か)かれているため、現代人(げんだいじん)が修行(しゅぎょう)する際(さい)にも大(おお)いに参考(さんこう)になる作品(さくひん)。

 

〔問(とい)3〕   (3)俊恵(しゅんえ)から与(あた)えられたアドバイスについては、長明(ちょうめい)が書(か)いた歌論書(かろんしょ)の『無名(むみょう)抄(しょう)』にいろいろ出(で)てきますが、とあるが、Bの原文(げんぶん)において、「俊恵(しゅんえ)」が良(よ)いと思(おも)う歌(うた)はどのようなものだと書(か)かれているか。次(つぎ)のうちから最(もっと)も適切(てきせつ)なものを選(えら)べ。

 

ア 証得(しょうとく)して、われは気色(きそく)したる歌(うた)詠(よ)み給(たま)ふな
イ われ至(いた)りにたりとて、この頃(ころ)詠(よ)まるる歌(うた)
ウ 何(なに)によりてかは秀歌(しゅうか)も出(い)で来(こ)む
エ 風情(ふぜい)もこもり、姿(すがた)もすなほなる歌(うた)

 

〔問(とい)4〕   (4)そういうところに、長明(ちょうめい)の物事(ものごと)にかける情熱(じょうねつ)というか、人間(にんげん)臭(くさ)さが表(あらわ)れているなあと思(おも)うんです。とあるが、「そういうところに、長明(ちょうめい)の物事(ものごと)にかける情熱(じょうねつ)というか、人間(にんげん)臭(くさ)さが表(あらわ)れている」について説明(せつめい)したものとして、最(もっと)も適切(てきせつ)なのは、次(つぎ)のうちではどれか。

 

ア 歌(うた)の才能(さいのう)を認(みと)められていたにもかかわらず、「方丈記(ほうじょうき)」の価値(かち)が認(みと)められなかったところに、不運(ふうん)な長明(ちょうめい)らしさが出(で)ているということ。
イ 歌(うた)に精進(しょうじん)していたのに、歌人(かじん)ではなく「方丈記(ほうじょうき)」の作者(さくしゃ)だと世間(せけん)で思(おも)われていたところに、宿命的(しゅくめいてき)な長明(ちょうめい)の人生(じんせい)が表(あらわ)れているということ。
ウ 不運(ふうん)だと言(い)いながら、恵(めぐ)まれた人間(にんげん)関係(かんけい)の中(なか)で歌(うた)や音楽(おんがく)の才能(さいのう)が認(みと)められ意欲的(いよくてき)に取(と)り組(く)む姿(すがた)に、長明(ちょうめい)の魅力(みりょく)がにじみ出(で)ているということ。
エ 望(のぞ)む職業(しょくぎょう)に就(つ)けず、自分(じぶん)の才能(さいのう)が開花(かいか)しないのは運(うん)がないだけだと思(おも)う姿勢(しせい)に、長明(ちょうめい)の前向(まえむ)きで動(どう)じない人柄(ひとがら)が示(しめ)されているということ。

 

〔問(とい)5〕   (5)かならずやとあるが、この言葉(ことば)が直接(ちょくせつ)かかるのは、次(つぎ)のうちのどれか。

 

ア 名人(めいじん)で
イ いらっしゃるに
ウ 違(ちが)いない
エ 申(もう)すのです

 

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